2011年12月3日土曜日

イカメン、「真似ぶべき! 超思考の 当然を 武が鳴らす 反証の鐘!!」

こんにちわ!今朝は、故あって、午前7時10分頃の起床。世間一般のお父さん的目覚めですが・・・・またも、体操ジョグをやってません。冷たい雨に打たれて~というのが、ね、えー、あの、そのです、つまりは・・・サボってしまったという訳でして、・・・・・

いえね、実は、ここ2~3日YOUTUBEで見つけた練習の参考になる音源を何とか、楽にIpodにMp3の形でダウンロードしたくて、無理やり試験前のGROUSEに、設定をお願いしましてね・・・そしたら、「Craving explorer」と言うソフトをグーグルクロームの中で見つけてくれた訳でして。

あんまりにもさくさく、ダウンロードが出来るので、調子に乗って、昨晩、山下達郎の曲15曲ばかりと「Change the world」や 「接吻」のボッサヴァージョンとか、田島貴男ギターソロヴァージョンなどなど実に20曲近くを取り込んでましたら・・・あっと言う間に午前様になりまして、ご就寝が午前1時すぎとなってしまったので、・・さしもの超老人的なイカメンも早起きが出来なかったのです。ともかく、ダウンロードは大量に出来た訳ですが・・・・・とても、便利な世の中になったもんです。全部只ですもんね~


 そんなこんなで、またもや、運動らしきものは何もせずに、先ほどわが庭「越谷レイクタウン」に行ってまいりました。しばらくご無沙汰していましたら、随分新しい店が入っていました。どれもワクワク感溢れるショップの数々・・・イカメンは、帽子屋さん(店名を忘れたが、とてもお洒落)で、お気に入りのハンチングを発見し、一つ目の買い物をしたのです。

「発見とは大げさな!」と、いうのも、イカメンの頭のサイズ・・知ってる人は知っている・・・既にケアンズでのバギー場での悲話をご存知の方もおられましょうが・・・・これが、日本でもオーストラリアでも、合う帽子がなかなか見つからない62~63cmなので、今までサンバイザーの後ろのベルトを外しても合わないことが殆どだったのですが・・・・・このお店には!あったのです!Big Sizeコーナーが!嬉しくて、狂喜乱舞のイカメンは思わず8の字ダンスをしました。(あんたは、ミツバチか!?)

品数も多く、かぶり倒したイカメンは、嫁に見立ててもらいながら、漸く購入とあいなりましたのです。


そして、もうひとつの買い物は・・・・・線香であります!既にここでご紹介したこともありますが。「MALAIKA」と言うインド・アンティークショップで1ケース100円のものを、10ケース大人買いしました。因みにこんな具合であります!

ほとんどm呆れた世界であることは、本人も自覚はしておりますが、これを焚き染めると実に気分が安らぐのです。ここには16セットくらいあります。


で、今日のタイトルコールは、読んで字の如く、北野武「超思考」を読了したので、感想を詠いこんでみた訳でございます。「説明せ~よって」、ことですよね。「はい、はい、そうでしたね。」

それでは、ちょっと彼のものの考え方を、文中から抜粋して、ここにすこ~しだけ、抜き出してみますと・・・・こんな風になりますかね。

『金は大事かもしれないけど・・・・もっと大切なもの・・プライドというか、矜持というか・・・そういうものを、まるっきり失ってしまったのが、今の世の中の姿なのだ。他人をかきわけても、自分だけは得をしたい、いい目を見たいという人間ばっかりになってしまった気がする。結局、お金にしか価値を見出せない。行列(人気のラーメン店に並んだりや、ブランド品のバーゲンに群がったり)というのは、二極化した社会の、貧乏人のために考え出された、小銭で出来る贅沢の一種なんじゃないか。・・・・・そういう訳で、・・・・親として、せめて金を遺すようなバカなことだけはすまいと、楽しくもない贅沢に現(うつつ)を抜かしているという訳だ。』

『言いたいのは、つまり人間は本音で生きているわけではないということ。・・・・
何の世界でも・・絶対に外しちゃいけない枠組みがある。お笑いは、枠の締め付けの中で、いかに自分をフリーにするか・・・だから礼儀だけはしっかり守れ、あとは何をやってもいいよというのが俺の弟子に対するスタンスだ。』

リアルな暴力の痛さが感じられなくなった。と彼は言う。

『喧嘩のシーンひとつとってもそうだ。本当の喧嘩なら、あんな長時間、殴ったり殴られたりすることはまずない。ボクシングじゃないんだから。たいてい一、二発でケリがつく。それじゃ寂しいから・・・・あの喧嘩のパターンを昔誰かが考えたのだろう。・・・・・その嘘を、その後の監督が延々とまねし続けた、嘘をつき続けた。・・・リアルな喧嘩は、もっとあっさりしているし、あっけない。』

放送禁止用語については、こう言ってる。

『乞食と言えなくなって、ホームレスと呼ぶようになった。・・・・日本語にすれば宿無しだ。乞食は放送禁止で、宿無しはOKという根拠がよくわからない。・・・テレビ局がどんどん自己主張をしなくなり、下手に個人とか個人の意見を出すと、視聴者に手厳しく叱られる。・・スポンサーから切られる。

・・・損をするだけなので、なんでも曖昧で抽象的な言葉で誤魔化すようになった。・・・・「○○みたいな」という言葉で・・・自分の想像力の欠如した部分を、相手の想像力にまかせて逃げてしまうわけだ。・・とりあえず納得しても、三人いれば三人とも違う状況を想像することになり、夫々自分なりの感覚で満足しているだけ・・・誰もそのことに気づかない。

でも、報道番組はさすがに、これは使えないと、マスコミはかわりに「世論」という新兵器を生み出し、権威付けてしまい、「国民の声=神の声」を産み出した。これには、誰も批判や非難は出来ないのだ。・・ストーリーは、あらかじめ書かれていて、それをなぞるようなインタヴューをしているだけ・・・・』

以上の様に、実に小気味が良くて、的を射ているのだ。

だからこの「超思考」は、すぐれて『超風刺の書』である。今の世の中は、プロトタイプを探している。まともに意見を、異見を、言おうものなら、集団でつぶされる。それは、さながら今子供達がやっている「いじめ」の手本を見せていることになる。

この情景は、太田光「マボロシの鳥」のなかにある「魔女」の内容と全く同じで、太田は同じことをこの短編で表現している。

つまり、とりあえず周囲の動きに同調~付和雷同~しておかなければ、必ず自分に累が及ぶので、「集団いじめ」に参加するという、とても安心で安全なポジションをキープしようとするのだ。しかも、その中で積極的には、いじめられる人に対して手を出さないことで、その集団を率いるリーダーに全て責任をとらせておけば、楽ちんな訳だ。

だから、最近の若い人は、ますます社長やリーダーになりたがらず、一番でなくていいと言うのだ。何故なら無責任でいられるし、ひところ流行ったパラサイト(寄生虫)でいればこれほど楽なことはないからだ。それこそ、逆の意味で「一番じゃなきゃ」いい訳だ。

結果として、大本営発表みたいな日本のワイドショー的マスメディアの報道に、金魚の糞みたいに従順でいられる人が、ますます増えていくという訳で、そんな我々に北朝鮮をバカな国だと言う資格はどうもなさそうだと・・喝破しているのが、この「超思考」ということなのである。

またもや、だらだらと書いてしまった。
明日のイカメンバンドのスタジオ入りに備えて、愛器「ハミングバード」のご機嫌を伺うことにしましょうかと・・・・

では、また!


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