2017年12月10日日曜日

イカメン、「冷静に 鑑みてみて 気が付いた 昭和回帰が マイブームなり!?」

おはようございます!今朝は午前5時36分の起床。

つくづく最近思うことがあります。時代のなせる業なのか歳のなせる業なのか、、、分かりませんが、、、

年賀状の住所録を作り直しながら、新しく入手し大画面Lenovoで、YOU TUBEで、ユーミンや松任谷正隆、細野晴臣らキャラメルママのメンバー達が当時のミキサーやプロデューサーらと昔のレコーディングを振り返る動画や、ばんばひろふみ、因幡晃、堀内孝雄らがフォーククルセダーズからの関西フォークや九州フォークなどの流れ『いちご白書』から『神田川』までを語り合う動画を見てたり、、、、

図書館で選んだ本が何故だか、高田文夫の「誰もかけなかった『笑芸論』」とか、ふと手にした最新刊「茅ヶ崎音楽物語」では著者の宮治淳一さんが上原謙の家の近所に住み、デビュー前の慶応高校生池端直亮(いけはたなおあき)が豪邸で当時流行前のエレキを弾く其の後の加山雄三を見かけたり、その後尾崎紀世彦、平尾昌晃、加瀬邦彦、そして我らが世代ドンピシャのサザンオールスターズの桑田佳祐ら音楽の大スター達が生まれ来る茅ヶ崎の地について書かれていた。なんと加瀬邦彦が駅で見かけた美人のハーフ風の女性が、ひょんなことから先輩に連れられ上原謙のホームパーティに行ったらなんと、それが加山雄三の妹であったといった裏話も書かれてもいました。

そして、その後はまたYOU TUBEで吉田拓郎のオールナイトニッポンや、大好きな長谷川きよしの歌声とギターの美しい響きに酔い痴れ、タモリ倶楽部のなぎら健壱ら、井上陽水と北野武の対談、井上陽水と糸井重里の対談を聴きまくりながら、、、

ふと、、、『あれ?』『ん????』

どうやら、これは歳のせいなのだろか?改めて自分で曲作りを始めようと思ったり、やたらと昭和に回帰している自分に気づいてしまった驚きを、今朝は啖呵してみた次第です。

さてさて、そんな訳で読み終えた高田文夫の本の雑感的なまとめを最後の方にアップしてお開きです。お暇な方のみお読みくださいな。


さて、そろそろ自転車を飛ばして、予約している生豆を焙煎してくれる近所のコーヒーローストオリティエさんで「モカイルガチャフィ」を買い、それから次なる予約本、
「植木等伝わかっちゃいるけどやめられない」を図書館に受け取りに行ってまいります。



では、また!


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「誰もかけなかった『笑芸論』」 について
高田文夫が自ら体験し直接見聞きした昭和の笑いの現場を綴った正に笑芸論になっている。彼は、生い立ちから文芸芸能に関わっていた。父は歴史の出版社を経営し日本の歴史関係の本を発刊して、「映画評論」の名物出版人高田敏郎はおじさん。

森繫久彌の家の柿の木などの果実などを盗んでは森繫に追いかけられてた。彼が愛する笑いの師匠は三木のり平さん、

彼の体験した60年史に登場するのは、

青島幸男の笑いのセンスに驚嘆し放送作家に憧れて、アメ横で抜群の口上をやってたデビュー前のテキヤの少年渥美清、小学生の頃に目の前で見た昭和の爆笑王林家三平、そして何より大先輩として憧れたラジオや様々なメディアの元祖永六輔や古今亭志ん朝、大学の落研の後輩で高田自らが稽古をつけた森田芳光なども登場する。

落語の師匠は立川談志、高田文夫は真打になり立川藤志楼となる。

三波伸介の凸凹大学校の台本を書き、影山民夫とはコンビを組み、大瀧詠一と意気投合し、坂本九とも交流があった。

そして何よりもあのビートたけしを世に送り出したのが、高田文夫であったのだ!

ジャニーズはもともと少年野球チームだったとか、小野ヤスシはいかりや長介と衝突してドリフターズを辞めてドンキーカルテットを作ったが、その時加藤茶は小野に付いていこうとしていた話とか、とにかくそんな裏話が満載の本である。

彼が入った日大芸術学部には、佐良直美やマイク真木らが通い、彼のいた頃は、キックボクサーになる前の沢村忠が上半身裸で空手の稽古をしてたり、後輩に真田広之、キャンディーズ、三谷幸喜、爆笑問題、立川志らく、宮藤官九郎などがいたと言う日芸は芸能人の宝庫でもあった。

高校は日本学園、日本大学、ニッポン放送へと。彼がまとめた時代感とは、、、
浅草の盛り上がりが昭和10年代、
ラジオの全盛期が昭和20年代、
映画の全盛期が昭和30年代、
テレビの全盛期が昭和40~50年代となる。

彼が手掛けた名物番組の数々、それは「スターどっきり㊙報告」「夜のヒットスタジオ」「オレたちひょうきん族」「ビートたけしのオールナイトニッポン」「高田文夫のビバリー昼ズ」など綺羅星のごとく並ぶのである。

確かに単なる放送作家ではないわいなとは思ってはいたが、想像以上に笑いやテレビの現場にいた放送作家としては、永六輔、青島幸男に続く巨匠であったと今更ながら気づかせてくれた本であった。
                                     以上

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