2023年6月23日金曜日

MAGASUS藤丸「久々に 鬼のいぬまに 数学と 浮世絵足した 生成AI!」

 こんにちは!



 今月は、異常な閲覧数の爆上がりに戸惑いと怖れを感じている今日この頃です。どうして、こんなとんでもブログを読もうと思う人?がシンガポールにいらっしゃるのか?累計ではありますが、今月に入って1800人以上が閲覧されてるって、何が起こっているんでしょうか?

 さて、昨日はほぼ多分1年以上ぶりに、数学同好会に出席して参りました。おそらく、今までで3~4本の指(後ほどこの指が、長いフリであったことに気付くと思いますが)に入る盛会でした。それは、充実した知的興奮と面白味を感じた、単なる飲みを超えた会だった気がするんですな。O君、Y君、M君、そして歌舞伎・浮世絵の大家であるS先生、ありがとうございます。

 どういうことか?

 まず、ちょっと自慢話と上から目線が鼻につき始めたS君がいなかったことが一番の原因なのですが、、、、とはいえ、優秀な御仁ですから、彼の話はそれなりに毎回面白いし、業界での活躍には、一目置くものがあります。ただ、半ちらけで、ろくに著作や夥しい作品、育てて来た門下生の多さと、その優秀さを理解出来もせずに、表面的な数学の理解(彼の考える)という部分だけで、わがメンター(湯川秀樹に私淑して南部陽一郎の自発的対称性の破れを早い段階から評価していた)を小馬鹿にするのは許せない訳です。

 ま、昨日も当人よりも、周囲が凄い人物が多いと主張するご年配もおられた訳だから、仕方がないのですが。なにせメンターは積極的に表舞台には出ず(そんな露出をするだけでは根底を変革することは叶わないので)、千夜千冊をはじめとした編集工学の実践と門下生の育成に専念されているので、直接薫陶を受けない限り、その度量の大きさや深遠さが理解できるはずもないのですから。だいたい、そのご年配が評価している周囲の人物たちは全て、そのメンターからの直接薫陶を受け、少しでもその域に近づこうとして努力した結果、凄くなってるだけで、編集学校に入る前は、ただの凡人に過ぎなかったことを、どうしてこの方は、推し量ることが出来ないのかと、少し哀しくなった次第(ただ、メンター自体を大したことがないおじいさんと評したS君よりはマシです)

千離衆となった藤丸としては、それは、まるで、仏陀が経典を書いたわけではなく、キリストが聖書を書き残したわけではないから、仏陀もキリストも大した人物ではなく、その弟子たちが凄いのだと言われているくらいの気持ちになるんですな。そんなことも分からんようでは知識を商売にしてはいかんと、さらに輪をかけて、少し目が霞んだ上に色眼鏡をかけて、人を平気で批判するような神経が許せんわけなのです。(こういう輩は、自信家の学者に多い気がするのは私だけ?)

 あ、失礼しました。今日は、少し、怒りモードから入ってしまいましたが、mm

肝心の知的興奮の坩堝のお話を今日は少しご披露して、そこから考え付いた飛んでも8分(発奮)、歩いて5分(興奮)な与太噺をしてみたいと思うのであります。

 いつもながら、関内のAmigoを訪ねるときは、雨が降っていたのです。

まず、幹事団のO、Y君からの生成AI話が繰り出され、そこでAIはどこまで進化して、人間の脅威になり得るのかという話になり、、、、おそらく、そうはならんだろうと、ならば、イーロンマスクが人類の脅威になりうるので、待ったをかけているのはどうしてかとの問いには、単純に先を越された遅れを取り戻して、自分の覇権を取りに行っているだけだ等々。

そして、様々な文章から次に続く言葉を統計的に、収集して文法に基づいて再構成しているだけで、言葉と言葉の距離をもとにしているのであって、そもそも意味など理解していないのでは?いやいや、そもそも意味を理解するって何だ?人間だって、所詮はニューロンネットワークを電気信号や化学物質の受け渡しでやっているに過ぎないから意味の理解などしている訳ではない等々、、、つまりは、意識はどこから来るのか的な話にも収斂する。

そんな中で浮世絵の話が出て、浮世絵はデフォルメが得意だが、それは関心の高い部分が大きく描かれるのではないかと、だから、手は意外と小さくしか描かれていない、大きく描かれているところがあるが、外国人が日本に来て失望したらしい、そんなところからエロティックな話へとM君が引っ張っていき、、、、

続いて、小生の方から、大学後輩の五石君が生成AIで様々な絵画を合成させているが、得てして手の表現がいい加減で、指の数なんか4本だったり、6本だったりと、おかしなことになっていると言うと、みんなも確かにAIは手を描くのが下手だと意見が一致する。

後ほど、その五石君がAIに作成させた合成絵画を掲載するので、ご覧頂きたい。見事なのもあるが、作成当初は手指の数など、おかしな部分が目立っている。そもそも著作権が誰にあるのか分からないが、彼からの了解は取り付けてあるんで、大丈夫な筈である。

 一方で、芸術の世界では手のデッサンから入るのが絵画の基本になるので、AIにはそれが難しいということではないかとの話が持ち出された。その他、AIには発見的数学は出来ないとの話等、なかなか面白い意見が飛び交った。

 そして、新藤先生が近々「葛飾北斎と数学」なる本を出されると、浮世絵には、黄金比もS君の大好きな白銀比もなく、いやむしろそういった当て嵌め方自体が間違っていることを数学的に証明したと、衝撃的な発言が飛び出したのである。いやはや出版が待ち遠しい限りなのだ。

ここから、今朝、ある考えに至った。そもそも数学のはじまりとは、数を数えること。それは、四つ足から二足歩行になり、DNAの9割以上が共通するチンパンジーと異なり、親指の方向が他の指から独立して機能するようになり、道具を使ったり、火を扱って生のものを調理することで、大脳皮質が発達して、思考する様になり、指を折って数えることが出来るようになったからだと考えられる。

また、その指は、曲げるか立てるかで、これは0か1の二進法を表す。コンピュータの起源は、そこにあるのだろう。でも量子論の世界では、一つの場所に同時に0も1も確率的に存在するので、さらに複雑な計算が出来るようになるので、今後の期待が大きいのだと、、

あれ、何が言いたいのか分からなくなってきたぞ、、、

要は、AIの苦手な手こそ、数学のはじまりで、芸術や表現のはじまりがあると、もちろんその前に皮膚という素晴らしい情報収集器官があって、なかでも指先にはあらゆる物事を他の部位にはないほど精密に知覚する皮膚感覚器が存在して、そこから自己と他者との境界認識が始まり、意識が生まれて来るのだ。

だから、AIが手を完全に理解し始めるまでは、シンギュラリティを心配することはないのかもしれない。

と、本日は極めて、とっちらかった話をしてしまった気がするが、これくらいぶっ飛んだことを書いておけば、シンガポールも諦めてくれるのではないかと秘かに思って、筆をいやキーボードに触れる指をおくことにしたい。


ゴッホと合体したG君、指が明らかにおかしい。

ボッティチェリの本物「ヴィーナスの誕生」
モネとの合体、貝殻が蓮の葉に。。。

ルノワールとの合体

葛飾北斎との合体

ゴッホとの合体、手だけでなく身体の部位がバラバラに!



ギザのピラミッドの葛飾北斎風
藤丸がお気に入りのエマワトソンのルノワール風味

ゴッホ風味のサントリーニ島

マリリンモンローのフェルメール風味

ルノワール描きしたあしかがフラワーパークの藤の花

ルノワール描きしたタージマハル
これはこれで美しい

ルノワール描きしたハロン湾(ベトナム)

ルノワール描きした富士吉田。六重の塔はなんだか不思議。

ルノワール描きした嵐山 竹林
最後に、昨日、白黒テレビなどの話から、昔の白黒写真に色を付けることもAIが出来るとの話もあったが、これも五石君がこのサイトでやってくれている。

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