きっとパラレルワールドを活用するしかないと、何人かの自分に、同じ時間に別々のタイムラインで作業をさせることが出来ればいいのだ。そのためには、右脳と左脳に役割分担させる。そう、脳の別々の部位を同一時間に働かせることが出来ればいいのだ。
と愚にもつかぬ妄想を一くさりしたところで、
今日の前田出の0から1を生む力で、全国人材発展協会の後藤勇人氏を発見、彼も凄いが、彼が師と仰いだのがグレコ・イバニーズで世界一のエレキギターメーカー「フジゲン」の横内氏
⇒(なんでも、ギブソン社か、海外のギターメーカーが横内氏に会いに行き、何故世界一のギターメーカに成れたのかと質問し、「当社は、ギターを作っているのではない、優秀なギターを作れる人を育てているのだ」と答えたところ、そのメーカーの人間はそれ以上説明を求めず、納得して帰って言ったという逸話があるそうな・・・)で、その横内氏のフィロソフィーを広めたいと協会を設立した話が中々にエキサイティングであった。
「目の前にあることを一所懸命にやれば、後は天のオファーを待つこと」との教えだが、まさに人事を尽くして天命を知るだと気づきもしたのだが、、、「イカ注」の二人である。
朝、ギリギリまで粘り、「日本力」を3分の2まで、まとめたが、力尽きて出勤途上で返却した。
ここに記すのは、いささかボリュームが多過ぎるかもしれんので、抜粋版を以下ご紹介。
読後感は、「こんなにも日本を深く理解するアメリカ人がいたのだ」と言う驚きと、正剛が舌を巻く彼の知性、それは、西欧の文化と日本の文化を並べる事で、より日本の普遍的価値を見出す能力である。
また、日本人以上に日本の原点となる様々な場所に足を運び、土着の日本人達に会いに行く凄さにある。
⇒この辺は正剛にも似ている。
彼の写真をもとに、正剛がこの「日本力」の発想を深めて行った訳だが、奇しくも、茂木が正剛の掌の上で踊らされながら対談が進められていた「脳と日本人」を読んだばかりなので、外国人のエバレッットブラウンが正剛と互角に渡り合う対談は、イカメンの知的好奇心をより刺激する内容であった。この内容は、少しずつエッセンスをまとめてみたいと思う。
正剛は、20年前に深みのある目と言葉の慈しみがたいそう印象に残るカメラマンとして、エバレットと出会っている。その後正剛は、彼が「奥の細道」を歩く番組やラッパー・ガングロなどの変わった日本人を被写体としている写真集を見たり、マクロビオテック・フードの達人の中島デコと結婚し、千葉の海辺に「ブラウンズフィールド」を作った事もフォローしていた。
そして2003年から(8回企画)あの「連塾」の聴衆の一人として接点を持ったと言う。しかも彼を第二回のゲストに迎える惚れ込み方で、その時の深みにはまった「日本」の展観に対する感動から、この本が企画された。
ところで、今日は夕方、リハビリに行く前に、図書館で予約本を取りに行ったのだが、昼の散歩の時にマルゼン日本橋で、「イカ注」の民族音楽研究の大家である小泉文夫氏の「日本の音」平凡社を見つけてしまい、ついつい購入してしまった。これで、読みかけの手元本6冊(フエイスブック2冊、スティーブジョブス1冊、街場の中国論、日米開戦の真実、花鳥風月、)に図書館で借りた本3冊(「感動力」平野秀典、「日本でいちばん大切にしたい会社」坂本光司、「人の心をひらく技術」小松成美)とあわせて10冊を抱えて、一体いつ読むつもりやねん!と一人突っ込みを入れるイカメンであった。
ともかく、ここからは世界に一人だけの暇なあなただけ読めばヨロシ。
(何故かって?読んだら後悔するかもよ~)
では、おやすみなされい!
「日本力」備忘録 時間の無い中でいかにはやくまとめるかチャレンジ!
B:破れたジーンズを若者がはくのは「わびさび」と思うか?
S:あれは、むしろ「やつし」。わびさびとは本来「持ち合わせが無く、残念ながら・・・といった。「お詫び」であり「寂しい」から来ている。だから上等なのにはずして使う感覚で、江戸中期の遊びにつながる、裏地だけに拘ったりとか・・・もし、そこに哲学があるとすれば、何か引くことで、逆にそこに何かがあることを感じさせる「引き算の美」の一種だとも言える。勿論、「わびさび」もそうだが。
『連塾』に来た原研哉のデザインは白を基調に『シンプルに』と言う素晴らしさがあるが、これも引き算と言う意味で同じく、かつ方法ではなく、デザインのあいだに「間」、哲学がある。一寸した事でも良いから、間の出入りがほしい、それはアイコンなのか罫なのか、グレーの中のグラデーションなのか、変な飾りなのか、そこが大事。
B:抜け出せない、時代のコンプライアンスみたいになった「シンプル」なデザインは危ない。
S:確かに、でも同じシンプルでも三宅一生や川久保玲やワイズの山本耀司のシンプルにはフィロソフィがあり、攻め際がある。
B:日本人は明治の初めまで、芸術的にレベルの高いものづくりや日本の細工レベルは優れていた。日本経済のグローバリゼーション化により、置き忘れられたが、携帯にストラップをつけるのは日本以外にありえない。日本人は、ものに生命を与える。
S:万葉の頃から、日本の美意識の中には「引き寄せ」「生け捕り」がある。花見・雪見・雪月花、いけばなも、カットアップする。そこから歌の枕詞とか掛詞に合わさっていく、扇子、短冊、屏風へと、さらには、墨、すずり箱、文箱の螺鈿にまで現れていく。
B:若者は無意識にやっている。日本の職人が、自分の命をものに入れていたのと同じかも。
S:それを『魂を入れる』とも言う。
B:寺田本家の社長が、今、感謝と喜びの気持ちをお酒に入れようとしている。
B:働くは、「傍を楽にする」であるという言葉が好きだ。お金ではなく、周りの人の為に仕事をすると、それが気持ちよく戻ってくる。仕事をする喜び、やりがい、精神的な喜び、感謝の気持ちが湧いてくる。本当にお互いのために働くということ。
S:「お互いさま」とは、不思議な文法。関係に『様』をつけるのは「間柄」にも通じる。つけられないものに『柄』をつけている。
B:そういう言葉を使う事で、自分達より大きなものにつながっていける。日本語には気持ちを開放させるような深みのある言葉が日本語にはいっぱいある。松岡さんが長年の言語研究で掘り起こしてくれた。
⇒同感!エバレットは凄い!
B:日本には手を使った「手遊び」がとても豊富で、これが日本人の感性や細やかさ、能力を育てていたが、(今それが無くなりつつありザンネン。)
S:手の遊びとは、当を得た見方。
世界の言語の発生と日本語を比べてきたが、そして世界の子供の遊びも研究したが、日本ほど『手』という文字を使った言葉が多い国はない。それから、感情的になってくると、日本独自の主客転倒が起こる。それは、「手前ども」「御前」など。
不思議な一人称と二人称の転換をギリギリ「手」が守っていた。これが失われると、そういうマナーが解体して、相手を刺すとか殺すか言う事になる。西洋なら「ひじ」ではないか。エルボー・ディスタンスで、ロックンロールは大流行したとエドワード・ホールという文化人類学者が説いている。
外人に言われたのだが、「今の日本人は、そういった相手との距離感、相手との『間』の取り方が分からなくなっているのではないか」と。
B:やっぱり手を使わなくなって、感覚が鈍くなったのではないか。
⇒鋭いつっこみ、エバレット流石じゃ!
B:日本の遊びには一人や二人でやるものが多い気がする。
S:二人遊びが多い。囲碁将棋あやとりおはじき など、ペア・プレイが多く、相手がいない時に一人遊びになると言う感じだ。
B:西洋の遊びはわりとグループでやるのが多い気がする。
S:だからルールが複雑なものを最初から持っていた。コントラクトブリッジ(?)なんて、すごくイギリスらしい。
B:なるほど。グループの中で個人を生かすという発想ね>
⇒残念ながら、ここ、イカメンは理解できていない。
S:カードゲームには、ヨーロッパ的な複雑な多様性がある。
B:自分の子供と良くカード遊びをする時、西洋の精神を伝えようとしている。作戦を立てるとか、グループの中で自分がどういうポジションをとるとか、そのあたりが西洋的です。
S:うん、日本は一対一ですね。剣道空手も基本はそう。そのかわり連歌のような多人数の連鎖による「座」が発達した。
⇒ここで、イカメンは日本の多様性と西洋の二分法が、ゲームでは逆転している現象に非常に興味を覚えた。もっと追求してみたいのだ!えらい!
B:カードは、奇術と黒魔術の道具で、目に見えない世界とコンタクトする手法である。自分の運命をゲームで試す。だから、カードの「巡り合わせ」が重要。カードは今でも悪魔の遊びだとアメリカのキリスト教原理主義の家庭では教えられている、ギャンブルもそうでしょうね。
S:日本人は、手に心を感じようとしている。「たなごころ」の様に手の中にコスモスを招く
B:二十代の頃、日本の文化を理解するため、東洋医学を勉強した。それが日本文化への根本的入り口だと思った。論理を超えたところで、六感で物事を見る世界、それで、陰陽五行思想も勉強した。手に経絡とかツボがたくさんあり、大変興味を持った。手で気の流れを感じることも、日本の様々な文化や芸能、武道に共通しているものだと。
⇒本当に凄い!こんな奴、日本人にも中々おらんぞい!
でも、最近の日本人は、「気」の持ち方が大分ズレしまっている。昔は「腹が立つ」今「頭にくる」そして、「キレル」になった。日本人の身体の中心が、丹田のあるお腹から頭にずれていって、最後にはどこかに行ってしまった。
⇒すごい洞察!どんな感性をもっているのじゃエバレットは、イカメンと同級生じゃが?
B:農民の精神文化について学ぶ時、柳田国男が大変参考になる。
S:みんな、エバレットを見習わなくっちゃ、特に農耕的感覚を。「ワラの文化」を主張している「ワラのミュージアム」を作りたいと思っている。
B:最近ローカリティというものを考えていて、日本人は今それを失っている。つまり、自分の居場所、周りとのつながり、人との絆、土、土地とのつながりということ。最近の日本では、気の流れ、気の循環が切断されている。
⇒宮台真司もこれからは「絆」だと連呼しておった。彼もイカメンと同級生じゃが?
S:ローカリティは『土発性』と訳せばよい。
B:明治まで日本人は国家意識を持っていなかった。ナショナリズムは権力者が計画的につくった、前世期的な発想から生まれたものだが、必要性はもうない。それに比べてパトリオティズムはまだ有効。
つまり自分の文化、地域、先祖の歴史に根ざしたもので、自分とローカリティのつながりの中で自然に発生する力。ここから「和の国」が誕生する。
S:大事なことだが、浸透していないし、メッセージとして表に出ていない。
とまあ、まだエバレットの思想や哲学のルーツとなる、ホームポジションとなる人物を聞いた正剛が、共通項を見出し、彼の発想の原点が分かったという下りもあったが、返却と言う時間切れの前にあえなく断念したイカメンであった。
ここまで、よくついてきた君には、天然記念物を与えよう!NNん?
お後が相当よろしいようで、ほんとにお休みなされ!
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