こんにちは、今朝は午前4時24分の起床。まずまずのスタートでした。今週から始めた『自喝生活!』の⑨エスカレーターを使わず階段を使えの実践。半蔵門線大手町駅の一番長いエスカレーター横の階段102段と丸ノ内線大手町駅の改札まで21段の計123段を上がって、オフィスビルの階段を3階から9階まで183段の計306段を上がると、オフィスに入る頃には、身体から湯気が立ち上りました。
さて、本日のタイトルコールは、何事においてもどん底から這い上がるためには、ぎりぎりでも諦めることなく体力知力の限りを尽くして、万事ージャンプして魅せましょうとの思念(おもい)を啖呵してみました。
では、友人M君へのお約束の履行を果たそうと不足だらけの知力を振り絞り、あの名著
「大和の古社寺のものがたり(下)」の感想書評をアップさせて頂こうかと思うのであります。上巻については、2月17日の記事をご覧ください。
『大和の古社寺 ものがたり(下)』を読んで
何故この本、いや、松田昭三氏のものがたりに惹きこまれるのだろうかと考えてみた。
それは、構成がしっかりと組み立てられていて、古社寺が創建された生い立ちや、その場
所の背景などから、語りが始まるからだ。そのトポスには、「設え」と「ふるまい」が程
よくセッティングされ、そこに昭三氏の素晴らしい「もてなし」が装着されているので、
心の目に当時の情景や蠢く人物像が浮かぶ、そうやって読める本だからなのだろう。
下巻は、藤原氏の氏寺である興福寺の案内からスタートする。そこでは、いかにして藤
原家が天皇の後宮を支配していったのか、そして不比等の息子藤原四兄弟を中心に織り成
される群像劇が展開される。
古来、天皇が代わるごとに新しい宮を造営する習慣があった。その複数の宮の総称でも
ある飛鳥京から、藤原京を経て平城京へと遷都されるに従って、藤原氏の氏寺は山階寺、
厩坂寺と遷寺して興福寺に至る。その平城遷都を主導したのが、藤原(中臣)鎌足の次男
不比等。父に数段勝る智謀の政治家兼後宮支配者であり、我が国の国家デザインとして、
大宝律令・平城京・日本書紀の3つのモニュメントの実現に主導的な役割を演じた。これ
は昭三氏による上山春平氏の「埋もれた巨像」からの一部引用でもあるのだろう。この
「埋もれた巨像」については、松岡正剛*の千夜千冊第857夜も参照されたい。さらに、
昭三氏は興福寺の立地に、不比等の平城遷都に賭けた強い意志を推理してみせる。
そして、飛鳥、奈良、平安に渡る天皇家の樹立と延命に次いで、最も巨大で長期のプログ
ラムを成功させ、平安王朝の藤原摂関政治を頂点に実に1300年におよぶ繁栄をもたらした
政治的巨人・不比等に対して、「未来をも視野に取り込んだ深い思念が垣間見えて、唯々
感嘆するばかり」と書かれている。
*私が千離衆として、世界読書奥義伝の免許皆伝を頂いた火元校長である。松岡正剛氏と
の出会いは、最後に少し述べさせて頂く。
尚、謎多き不比等はもともと、「史」(ふひと)と名付けられたと言われている。「史」
は、歴史者、歴史の語り部、史実の記録者といった意味である。
因みに、私の名前にも史がある。亡父がプロテスタントでファーストヒストリーという意味
で名づけたと聞く。あくまでもどうでもよい余談である。
氏寺に続くのは、藤原氏の氏神春日大社、これは不比等の孫にあたる左大臣藤原永手に
よって創建された。藤原氏の始祖である中臣鎌足については、諸説あり定説がないという
ことで、昭三氏は独断と偏見の色濃い私見を述べると謙遜しつつ、ものがたりを始める。
政治権力を天皇家と縁戚関係を結ぶことで掌握するだけではなく、武力に対抗すべく、
刀剣・武力の神を氏神に取り込んで権威の裏付けとして、それを国家鎮護の神にしようと
目論んだと述べられている。不比等存命中に古事記と日本書紀が完成していることや、
日本書紀だけでなく古事記まで不比等がプロデュースしたとする梅原猛の説もあるくらい
だし、おまけに続日本紀や日本後記まで藤原氏が撰者となっていることからも、藤原摂関
政治のバックボーンは強固なものになっていったことは間違いなさそうである。
春日大社の鳥居の参道から南門、本殿へと向かうにつれて、能舞台の鏡板に描かれる
おん祭りゆかりの「影向の松」や、藤原氏一門が天皇家を通して繁栄を図ったことを象徴
するかの様な「砂ずりの藤」があることが紹介されている。いずれ、母の生地京都や実家
の大阪に帰ったら、一度この本を持って春日祭を訪ねて、藤原氏と天皇家との陰陽の関係
を体感してみたいと思う。そして、萬葉植物園の浮舞台で繰り広げられる春日舞楽にも触
れてみたいと思った次第である。
こうしてみると、藤原家の中では、氏寺と氏神があって神仏調和がなされていることが
興味深い。
最後に、鑑真和上により創建された唐招提寺が紹介されている。ここでは、そのトポス
から歴史的現在に立ち、建物に往時の光景を描き出していく視点が心憎い。そして推古の
遺詔について書かれているが、この本を読んでいて、上下巻に通奏低音の様に流れる昭三
氏の言葉に対するとらまえ方や向き合い方が述べられているので、締めくくりとして是非
とも紹介しておきたい。
このくだりは私も大いに賛同するものであるので、原文のまま掲載させて頂く。
『われわれ人間は、自分の感情や思想を表出するために言葉を使う。言葉によって自己の
思念(おもい)を他者に伝えたいと望む。しかも、その思念のすべてを他者に理解しても
らいたいと欲する。特に、死んで人が言葉を発するときには、その願望・欲求は最も強烈
なものとなる。そのとき言葉が例え片言隻句であったとしても、その言葉の背景にはそれ
を発した人の人生のすべてが大きくかぶさっていると考えても、あながち大げさな判断と
は言えないであろう。・・・・・言葉自体の特性である抽象性がもたらすものとして、語
り手の意欲する真意が十全に受け手に伝わらず、受け手が自分の都合の良い方向で理解す
ることが往々にしてある。それが時として大きな悲劇につながる場合もある。また、言葉
自体が、言うならば独り歩きをはじめ、その周辺に影響を及ぼし、言葉をめぐって様々な
思惑が渦巻き、やがて大きなうねりとなる。』
どうだろうか、現代にこそ響く思念ではなかろうか。
最後に、わが師松岡正剛との関係性について簡記しておきます。
2008年頃ネットで千夜千冊を見つけ、立花隆を超える知の巨人で博覧強記な人だと俄然
興味が湧き本を購入。「連塾」に興奮し「空海の夢」に打ちのめされ「図書街」を観て頭
の中を覗いてみたいと思った。松丸本舗が出来た時には、すぐに見に行き、その感動のまま
現在に至り、還暦になった年に松岡正剛氏によるイシス編集学校に入門し、2020年春「守」
卒門、2021年春「破」突破、同年秋「花伝所」放伝、「守」一調二機三声教室師範代を経て
2022年秋「離」を退院し、世界読書奥義伝の免許皆伝となり、松岡正剛の千離衆となる。
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