こんにちは、いよいよ第一話の始まりです。情報の歴史21の松岡正剛の編集的世界観
について、私なりにまとめて参りたいと思います。
情報の全歴史は、宇宙史・生物史・人間史・社会史のいずれにも貫かれてきたものです。
宇宙史の何処かを始原として、「時間の矢」「エントロピーの矢」「情報の矢」が攻防
しつつ、発生してきたのが原情報の流れです。
生命の発生が、情報史の発端です。生命系の役割とは、宇宙から飛来してきた情報の種子
を時間をかけて保存・維持することでした。宇宙の熱源から適度に離れた地球において、
生命は、エントロピーにさからって成長できた。情報を高分子状態にして運ぶことが生命
の役割で、生命は、負のエントロピーを食べ続ける「情報列車」、情報ヴィークル、メデ
ィアであった。藤丸としては、この考え方にとても興味を惹かれるのです。
次にいかにしてヒトザルからヒトになっていったかを考える時に、生命系が行った事は、
①自身を複製するためにDNAなどを利用し遺伝情報を操作し、それが利己的な遺伝子の
ためのすこぶる有効な子守歌になった。
②外界からの情報を選択して、成体に有利な情報処理システムを開発した。
そのシステムは、原始的神経系→中枢部門と端末ネットワークの形成→巨大な脳へと
進化して、「自己編集化のシステム」が完成した。
裸のサルとしのヒトの脳が肥大化したことから、
Ⅰ脳はコトバをつくり出した。オーラルコミュニケーションの成立。第一の冒険。
Ⅱ古代人が「神」を仮想するようになった。第二の冒険。
Ⅰ外界から入力された情報に応じて内部のシステムが新しい分節を形成することにより
コトバがつくられた。それは、二足歩行することによって発達した身体的変化である
咽頭部や舌部の急速な分節化に、手指の分節を対応させたことが脳のネットワークを
刺激し、思考を殆ど同時に追認する方法として、記録出来るコトバが生まれた。
手指が線状、輪郭を描き、リズムを線刻し、アルタミラ、ラスコーなどの洞窟画の
得意な線画を描く才能を発揮した。
ついに生命系の外側に情報を保存することが可能になった。
そこから先は、氷河の後退、温暖化で、文様→分類しながら図標や絵文字をつくり
→文字のセットをつくり→文化を築く(「文化」とは、「文様や文字をつかってみる」
という意義)
この流れは、ネットワークの中を信号が往き来するうちに、「分節可能性」や「意味」
が生じて、神経ネットワークが多重に分化させることになり、「記憶部門」や「表現
部門」をつくった。
それは、まるで情報のインテグレートとエントロピーの増大の反復、往還による高度化
の様なものである。
つまり、コトバが生まれ、文字が生まれることで情報のインテグレートが行われたが、
それは同時多発的に世界各所でばらばらに発生したことで、多様な民族・言語で多様
なコミュニケーションの手段と分化を成立させることになった。これはエントロピー
の増大と言えるだろう。
Ⅱ情報の歴史がどのように社会化していったかを考える時に、避けて通れないのが、
「神の出現」問題である。何故、古代人が神を仮想できたかの答えは未だ解明されて
はいないが、これが分からないことには、
キリスト教の出現の意味、メディアとしての聖書を想定した意味、「国家の出現」の
意味、自我の現象学が確立してきた意味も分からない。
東洋においては、神仏の想定以外に、『空』『無』という知識の放棄の方へ向かった。
ここが東洋の凄さだろう。
やがて、神との関係を維持し続けられなくなり、さまざまなコミュニケーションの方法
を文法化、あるいは物語化することを編み出し、次々にメディアに置き換えて行った。
最初は、神と仏との交渉過程から学んだ記憶装置型メディアであって、それは
曼荼羅、賛美歌、ギリシア悲劇や教会建築、条理式宮都や巡礼回路だった。
やがて、時計やレンズなどの機械の登場により、情報の社会史は「神を追う歴史」と
「技術を追う歴史」に分離され、それは「マクロコスモス」と「ミクロコスモス」を
分断することになる。
そして、この二つの宇宙をもう一度統合してみる試みが、その後の思想史の課題と
なっていった。それが、哲学者たちの努力であったと藤丸は考えている。
機械の出現は、過去の神秘的なメディアをむしろ神秘化し、様々なメディアの複合化
(マルチメディア化)を加速させる役割を担った。だから、『第三の波』は17世紀
に既に始まっていたとする立場を松岡正剛は取っている。
一方で、普遍的で単一なコミュニケーション確立する努力が放棄された訳ではない。
・神の全知全能に模して、幾何学や博物誌をつくること。
・記号の組合せによって、全知識のダイヤルが回せること。(数学、音楽など?)
・世界言語を考案し、民族や文化の多様性を克服すること。(エスペラント語?)
今日においては、
・電子化されたデータベースづくり、さまざまなプログラミン言語の開発。
が挙げられる。すなわち、コミュニケーションの統合とは、もともとは『人工知能』
の確立を目指すこと。
ⅠとⅡを総括すると、
コミュニケーションとメディアに変化を与え続けた最大の装置とは、郵便・通信・
鉄道に代表されるネットワークだった。次第に巨大化し高度化し、電信電話・自動車
・飛行機の出現で自由度を獲得して、インフラ・ネットワークこそが情報交流を支配
しているとの様相を呈し、今や電気電信技術とコンピュータ技術の結合で、情報社会
という概念はコンピュータ・ネットワークを抜きには語れなくなっている。
このようなコミュニケーションとメディア、そしてネットワークの変遷がどのように
つながってきたのか、情報技術がどこでつながり合い、影響し合ってきたか、情報の
歴史を辿り、「関係の発見」をすべきである。
情報の技術文化史は、オーラルコミュニケーションの成立(謡い)とコズミック・
ダンス(舞い)に始まり、各地に文字が出現し、文字戦争(藤丸的には、これを
情報ヴィークルの覇権争いとみる)が繰り返された。
いったん、言語と文字が定着してしまうと、歴史はそこから複雑な交換ゲームを
始めることになる。
以下は、情報技術文化史を「コミュニケーションとメディアが依拠した考え方の
変遷」をヨーロッパの現象を対象として、かいつまんで項目分けされたもの。
○オラル・コミュニケーション時代
↓ 宇宙舞踏時代、 リズムを線に、模様と輪郭描写の発達
○図形と文字の出現
↓ 声と絵の世界に道具と図標記号の介入 各地で文字戦争
○写本文化と物語の時代
↓ 情報の記憶形態に工夫があらわれる。(物語様式)
○時間の円環化と活版印刷革命
↓ 古典回帰と宗教改革 ミクロコスモスとマクロコスモス分断
○クラブと新聞と産業革命
↓ 情報の啓蒙家 情報のデータベース化流行
○鉄道と通信のネットワーク
↓ 進化論と人類学 モールス電子機(1835)
○万国博と熱力学の法則
↓ 海底電線開通、新しいインフラ・ネットワーク時代
○電話ネットワークと電気革命
↓ 通信と写真の結合 映画の出現
○自動車と広告の時代
↓ 量子力学と相対性理論 レコード、ラジオとマイクロフォン
○大衆による情報ゲーム時代
↓ 戦争と失業の拡大 情報の遺伝子が確認される
○トランジスタとコンピュータと抗生物質の時代へ
↓ サイバネティクスによる生体=機械共生系 シャノン情報通信理論
○家電革命と情報コピー時代
↓ 免疫学による情報代謝 自己と非自己の発見 人工衛星
○パーソナリゼーションとグローバリゼーション
↓ プログラミン言語急速な開発 パソコン出現
○ニューメディアと高度通信ネットワーク
↓ 電卓の普及 バイオテクノロジー拡大
以上、歴史を「情報」という視点で捉える試みは、1936年を分岐点とした
1940年以前には情報概念が確立しておらずありえなかった。シャノンの情報
通信理論によって正式に情報概念が登場してからも、当初は、情報の定義は、
もっぱらエントロピーの逆数としてかなり狭い分野でのみ扱われていた。
転機は、分子生物学が遺伝情報のしくみを次々と解き明かし、生命系が情報を自己
組織化することによって、個体に的確な活動をもたらしていたのだと分かってきて
初めて「情報」に幅広い意味が付け加えられ、情報は生きたシステムにオーダーを
あたえる主人公になった。まさに守の「層なんです」を想起する。
以上、この大作、「情報の歴史21」は、松岡正剛が司馬遷「史記」が試みた方法
の復活とも言える「年表を編集する」という方法を思いついたことから生まれた。
後世に残る名著である。
今日はここまで、今後も感銘を受けたものについて、ここに披露していくことに
したい。
では、また!
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