爆弾低気圧を、「強風は 飲み過ごしつつ やり過ごす」と嘯きながら、
午後5時30分より、小網町で午後9時ごろまで、仲間と怪気炎をあげておりました。
お陰さまで、ラッシュもなくいつも通りに帰宅できました。
日本人の習性か?危機管理の精神の行き届きか?震災時の帰宅難民のように、同じ行動をして、大混雑となったようです。こんな時は、安全地帯でじっくり飲んで待つが、正解ですかね?
ちょっと不謹慎ですか?でも、台風じゃないですからね。すんません。
但し、ちょっと待ち時間が長すぎたのか、飲みが進みすぎまして、大変シュールな状況になりました。
ということで、飲みすぎて折角の美味い料理も台無しになることは、金輪際ご免こうむりたいと宗教頼みで、今朝のタイトルコールとあいなりましたとさ。臨済宗と曹洞宗どっちが道元で栄西か?なんて、久々に悩んでしまいました。
答えは、臨済宗が栄西で、公案を中心として、武家に広まり、曹洞宗は道元で、座禅を中心として、地方豪族や一般民衆に広がったことで、同じ禅宗の中にあって、対極にあるようだ。
ところで、敢えて色分けしたのは、確かアメリカでは、共和党が赤で民主党が青だった気がしたので、対極を示す意味で・・・・・めんどくさ~
でも、なんで爆弾低気圧の中で痛飲したことを表現するのに、この二人の宗派と名前がイカメンの頭に思い浮かんだのか?これは、謎であるし、偶然の符合?セレンディピティ?なんだかなあ~
⇒実は、単純明快!金輪際、相当シュール、どげんしたんを思いついたら、な~んとなく、臨済宗・曹洞宗・道元と出て来て、ほんなら栄西はどうすんねn?という親父ギャグが、常に頭を渦巻く習性のなせる業(わざ・ごう)に過ぎないのです。
ところで、公案ってなんだったけ?そこで、ちょっとウィキを調べたら・・・・以下のようでした。
宋代以降公案体系がまとめられ、擬似的に多くの悟りを起こさせ、宗門隆盛のために多くの禅僧の輩出を可能にした。公案は、禅語録から抽出した主に師と弟子の間の問答である。弟子が悟りを得る瞬間の契機を伝える話が多い。
公案は論理的、知的な理解を受け付けることが出来ない、人智の発生以前の無垢の境地での対話であり、考えることから解脱して、公案になり切るという比喩的境地を通してのみ知ることができる。これらの公案を、弟子を導くメソッド集としてまとめたのが公案体系であり、500から1900の公案が知られている。公案体系は師の家風によって異なる。
修行の初期段階に与えられる公案の例:
- 狗子仏性 - 「犬に仏性はありますか?」「無(む)」
- この背景には、仏教では誰でも知っている「全ての生き物は仏性を持っている」という涅槃経の知識があるが、その種の人を惑わす知識からの解脱を目的としている。
- 隻手の声 -「片手の拍手の音」
- 弟子は片手でする拍手の音を聞いてそれを師匠に示さなければならない。知的な理解では片手では拍手はできず音はしないが、そのような日常的感覚からの解脱を目的としている。
ん?ところで、両手ではくしゅをした時に、右手が鳴っているのか、それとも左手か?という話も確かありましたが、片手の拍手の音までは、知らんかった。どこまでも、勉強不足のイカメンです。
さあ、今日も元気に一日を始めましょう!
では、また!
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