さて、低糖質ダイエットも、ついに37日目。先週の仙台での二回に及ぶ休戦宣言にも関わらず、昨夕、風呂読書後の記録は?・・・▲3.8㎏を達成しました!ほんに、目出度いことです。ますます、紆余曲折しながらも、後2ヶ月ほど続ける意向であります。目標は学生時代の体重に限りなく近づくこと!・・・・・とはいえ、まだ、・・・・・あと、14.2㎏も!ありますが・・・・え~やはり、6ヶ月以上はかかりそうです。
BGMは、IKAMENの「別れ話は最後に」のスタジオ録音から、イカメンの実家のある高槻市出身の槇原君の「もう来いなんて市内」ではなくて、「もう恋なんてしない」が流れてきました。
彼の独特のメロディラインは、美しく、彼の耳に気持ちのいい声が、さらに、彼の曲を引き立てていて、イカメンお気に入りのアーティストであります。「世界に一つだけの花」も、残念ながら、SMAPでは無理な訳です。
因みに、彼の従兄弟のローリーも高槻市であります。確か、辻本清美さんも高槻市を地盤としていますが・・・・イカメンも含めて、当地には美男美女とは、縁が薄そうです。
さて、昨晩は、駅前の奄美大島の店「花ゆらい」に、家族で出かけ、嫁の誕生日を祝いました。
今年3月の沖縄旅行以来のお気に入りの南国料理と泡盛をしこたま頂きました。
では、一部ラインアップをご紹介しましょうかね・・・
ゴーヤギョーザ、中味だけでなく、皮にも ゴーヤが練りこまれています。中々の美味。 |
ご存知ラフテー。嫁が家では出来ない この柔らかさと脂の処理を不思議がりながらも 全員で舌鼓。 |
島豆腐のマーボー。 辛味噌肉が、美味くて辛い! 汗だくになりながらも、米が食えないイカメンには ちと残酷な料理。 |
卵とスパム。これをFACEBOOKにアップしたら 意外と反応がありました。スパムのコッテリ味と オムレツがベストなマッチ。 |
この他にも、奄美の島揚げとか、島らっきょうとかつおとか、マンゴーの漬物もありましたが、これは、GROUSE始めとして、家族全員が嵌ったソーキそばです。低糖質ダイエット「第三回休止」を宣言したことは、言うまでもありません。5分の1頂きました。
締めは、これに奄美名物鶏飯(けいはん)です。いろいろな具材を、ご飯に載せて、熱い出汁をかけて、茶漬けの様に頂きます。これは6分の1だけ頂戴しました。後、オリオンビールも頂きました。
このあたりで、BGMは、大好きなオリジナルラブの「心」が、心地よく流れてきました。あっ!次は、スキマスイッチの「奏で」がかかってきました。何か、昔良く通った喫茶店にでもいる様なそんな気がして来ました。自分挽きの珈琲も、そんな錯覚に一役かってくれているみたいですね。
ところで、ここからは、また少し真面目になって。
キリっと、今読んでる「サーバント・リーダーシップ」からのご紹介です。昨日の風呂読書には、これと苫米地ドクター著「洗脳広告代理店」「整理術」と松岡正剛著「連塾Ⅲ」を持って入り、約1時間半。
その前に、本日のポッドキャストは、いとうせいこうの「Green Festa」から、浅草にいろんなアーティストを呼び込む、せいこうさんの仲間ホフディランとの対談の中で、出てきたのが、向島の「かどや」。ここは、押さえておいた方がよさそうです。それから「よしかみ」と有名な「神谷バー」の電気ブランなんかも興味をそそられます。
さて、参りましょうか・・・・
元はと言えば、このサーバント・リーダーシップは、イカメン的には「車輪の下」だけしか記憶に無いへルマン・ヘッセの「東方巡礼」に出てくるサーバントのレーオから、ヒントを得たものだそうです。サーバントであったレーオがいなくなってから、まとまりを失う集団。実は、レーオは教団の偉大で気高いトップのリーダーであった。
そこから、「優れたリーダーは、まずサーバントと見なされる。」
「どの時代にも引けを取らない洞察力ある預言は、いつの時代でも力強く語りかける。」
そして、組織における力と権限の問題は、
「従うに値する権限とは、フォロワーたちが自分の意志で意識的にリーダーに対して認めたものだけである。彼らが、自らの意志で応ずるのは、サーバントであると証明され、信頼されていることを根拠にリーダーとして選ばれた人に対してだけだ。」
今までの強いリーダーシップ論とは、一線を画すこのサーバントとリーダーの融合は、これからの時代に必要とされるものであるとイカメンは信じています。
特に、パワーハラスメント(P・H)を未だに、組織の長として、当然の手法みたいに勘違いをしている人たちに是非とも、この考え方を勉強してもらいたいと強く思うのであります。
ここに抜粋し、まとめるものは、およそP・H専門家達には、受け入れがたい内容ではないかと確信するのです。
とりあえず、ここまでで一旦アップしときますが・・・本題は、まだ続きます・・・・
続けましょうか・・・
「人は置かれた状況を苦しみも喜びもひっくるめて受け入れ、大胆で創造的な活動の中で、人格の礎を築きながら、自らの不完全さに取り組むことを求められる。奉仕することが第一という自然な感情から始まる。ここから、意識的選択がなされて、導きたいと思うようになる。
リーダーには、インスピレーション(洞察力)以上のものが、要求される。
リーダーは、先頭に立ってアイディアや構想を示し、成功するチャンスだけでなく、失敗のリスクも引き受ける。
生まれながらの真のサーバントだけが、まず耳を傾けることによって、問題に対処する。心から耳を傾けることによって、相手に力を植え付けられるのだ。」
一歩下がる~自分に最適な条件を見つけること~ペースを変える事で、自分の位置を確認できる。
⇒これが、実は、差し迫った局面では、重要な態度でもあるのですね。
続けましょう、
「拒絶」ではなく、「受容」と「共感」が、サーバントリーダーの態度。自分のリーダーシップに従う人たちに共感し、無制限に受け入れる度量がある。
そして、こういった先人達の引用がなされます。
「教育者は、学生に拒絶されることがあるかもしれないが、そうなっても文句を言ってはいけない。だが、教育者がいかなる状況にあっても、どんなことをした学生であれ、どの学生も拒絶してはいけない。」
「家とは、それに見合う値打ちがなくても、いることができるところだ。」
⇒どれも、昨今のいじめ自殺とかの問題を考えるのに、必要な考え方だと思われます。ただ、単なるモンペアとか、無関心というものとか、当時は想定外の現象が出て来てはいますがね。
そして、こうあります。
人間の性質の謎として、
①「未熟で失敗が多く、不器用で怠惰な人、いわゆる『典型的な』人物も、うまく導かれれば、世の中に大きな貢献をしたり、英雄的な行為をしたりする。その一方で、能力がある人は、欠点だらけの人間たちとともに働くことも、彼らを使うことも出来ないため、リーダーの資格がないと言える。」
「組織作りの秘訣は、そんな人々を、もっとも成長出来る遣り方で、成長させることで、グループとして、まとめられるかどうかにかかっている。」
②人間は、自分を導く人が共感してくれ、あるがままに受け入れてくれると一回り大きくなる。たとえ、能力の点からは、遣り方を批判されても、この考えに基づいて、自分と歩む者を全面的に受け入れるリーダーは、必ず信頼されるだろう。
⇒いずれも、我が意を得たりという指摘ですね。パワハラの人間には、これが全く理解不能なんだと考えられますね。彼らは、アル意味能力がある人達だし、平気で、『典型的な』人に、役割を敢えて与えずに、切り捨ててしまって、有能な部下と自分だけで、チームの成果を挙げればそれで良しとするでしょうし、自分が長としている間だけ持てば良いと、その後のことは全く興味がないと平気で言い切る人たちが、多いと思います。
さて、では本来のリーダーに必要な能力は何でしょうか?大きくふたつとこの本では言っているのです。
Ⅰ.知ることが出来ないものを感じ取る。・・・直感
Ⅱ.予見できないものを、予見する。
これは、非常に重要な能力です。
Ⅰについて、
重大な決断時には、大抵、手元の情報と本来必要な情報との間に、ギャップが存在します。
無意識のプロセズを経た判断力で、この橋渡しをするのもリーダシップの技術なのです。
リーダーは誰よりも創造的(発見すること)でなければならないのです。それは、未踏の場所、未知の領域に突き進む力とも言い換えられます。
直感とは、パターン感覚であり、前に起きたことに基づいて、概括する能力のことです。
賢明なリーダーは、この直感の導きに、いつ賭けたらいいか心得ており、それが常に確率の問題であることも承知しているのです。
しかし、通常、決断には二つの不安な側面があります。
①ギャップが埋まるまで情報を収集しようと、決断を先延ばしにしているという不安と
②充分な情報が揃っていないうちに決断をしてしまうという不安です。
よって、リーダーの直感による決断に大事な側面は、タイミングであり、決断しようと決めることなのです。
しかし、差し迫った状況で出された場合の決断は、論理的に難のある策略じみたものがあるかもしれません。
従って、概念的なレベルで発揮されることによって、より価値があるものとなり、いっそう信頼も受けられるのです。決断を下す上では、より健全な構想を与えるよりは、包括的で概念的な洞察力は、リーダーにとって、いっそう優れた才能であるのです。
Ⅱについて、
予見とは、「今」というものを、「移動平均」的な思考をして捉えるものです。
「今」の中にも時間的幅があります。それは、未来⇒現在→あいまいな現在⇒過去の時間の流れ(無論、これは本書の流れではなく、あのアビダルマ仏教的、インド的時間の流れにイカメンが勝手に書き直しています。)
この流れで記載すると、「今から」始める未来⇒「たった今」瞬間の現在→「今頃」というあいまいな現在⇒「たった今」という過去・・となります。
リーダーとは、現在を時間の幅として捉える能力を有しており、それがリーダーシップに欠かせない原動力なのです。だから、リーダーは、「今」というものに対して、預言者であり、現状の分析家であり、歴史家であるとされているのです。
⇒う~ん、思わず身体が、動き出しそうです。耳元では、高校時代マスゲームで踊らされたABBAの「ダンシング・クイーン」が流れてきたではないですか!
整理しましょう。
一歩下がって、俯瞰すれば、解決策となる直感的洞察が立ち現れると自信を持つことです。
予見とは、現在の出来事をじっくりと見つめ、過去に出した予測と常に比較すると同時に、未来の出来事も予測していくことです。
リーダーの持つ「引き紐(リード)」を失ってしまうと、目の前の出来事にただ反応しているだけになり、長続きしなくなります。出来事の方が、リーダーを引きずり回すことになるからです。
つまり、普段なら、予見出来た筈のことを予見出来ず。行動の自由があるのに、知識に基づいて行動を起こせなかった為、結果として、リーダーシップを失った人の事例が、最近増えているのだと言います。
では、どうすれば良いのか?
「気づき」により、「知覚」と言うドアを開けることです。
「知覚の扉が清められると、すべてがありのままの姿で無限に現れてくる。」と言った人もいます。
でも、「気づき」にはリスクが伴います。いつもより、用心深くなるので、物事をより「ありのままに見る」ために、より広い範囲の気づきに耐えられることが、リーダーシップを得る資格と言えるのです。
「気づき」により、価値を作り上げ明確にすることとか、超然としている為の素地が出来あがるのです。リスクに対して、距離を置いて考え、過去の経験に照らし合わせて、自分を客観的に見る能力が得られるのです。
一方で、人を混乱に陥れ、覚醒させるものでもあります。
だから、有能なリーダーは覚醒しており、適度に混乱しているものです。彼らは、安堵など求めていません。自分の内に平静があるからです。
リーダーは、未知のことに対する自信を強化しなければなりません。自信は、予想や準備することによって養い、ストレスに満ちた生活の中にあっても、創造的なプロセスによって、事態を解決すれば、落ち着きを得られると言う確固たる信念のことなのです。
2千年にわたり、人の精神に対する偉大な物語として、劇的に語られているのが、姦通罪を犯した女に相対した時のキリストの話だと紹介されているのですが・・・・イカメンは、これは深いと思いました。
キリストのリーダーシップを疑う民衆が、「こういう女は、石で打ち殺せと、モーゼは律法の中で命じています。あなたはどうお考えになりますか?」とキリストに問う。
このような故意に緊張感が高められた状況で、決断を迫られたキリストが取った行動は?
その場に座り込み、砂に字を書き始めた。
「一歩下がる」という手段で、創造的な洞察が働くと推察し、「気づき」の扉を開いた。
そして、こう言った。
「あなたたちの中で、罪を犯したことのないものが、まず、この女に石を投げなさい。」と・・・・
⇒律法を守りながら、ただ誰が執行するかというところに、釘を刺したという訳で、見事な直感と予見の事例ではないかと、感銘したイカメンであります。
今日も今日とて、相当なが~い夜ならぬ。ブログとなりました事を、お詫び申し上げます。
ただ、この一連のサーバント・リーダーシップ論。努々(ゆめゆめ)無駄だったとは、仰りますまい。皆々様がたはね。
これから、家族で前から行きたかった代官山のTSUTAYAに行って参ります!
では、また!
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