2017年10月3日火曜日

イカメン、「出陣の 前の緊張 ほぐすため 今夜のMC まとめてみるわ!」20170930

おはようございます。今朝はゆっくりと午前4時46分の起床。
本日は、こちらのAcoustic Paradiceに参戦します。
   ↓
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で、今朝は、先週の3連休の高槻での思い出を書く前に、ここにセトリとMC原稿をここにまとめておきます。当然ながら、この原稿は本日の中野Bar Y's PaPaでのライブ終了後にアップする所存であります。

こんばんわ、本日は素敵な企画「Acoustic Paradice」にお招き頂きありがとうございます。
フォークの聖地京都で学生時代に産湯を使ったメンバーのスピンアウトバンド「刺身のツマ」と申します。

関西フォーク、その中でも京都を根城としたのがザ・フォーク・クルセダーズ。

加藤和彦がザ・ジャズ・クルセダーズから命名したそうです。また、彼はファッションリーダーでもありました。当時のメンズクラブの求人欄みたいなところに、「当方、12弦ギターとバンジョーあり、一緒にやる人求む」みたいに募集したところ、北山修が自転車に乗ってやって来た。北山も180cm弱の長身だったが、加藤は180cm以上あり、二人ともこれでバンドが組めると思ったとか、、、??

ザ・フォーク・クルセダーズとは、

ご存知、加藤和彦と北山修、それにプロデビュー後に交代したはしだのりひこで1967年から1968年までの9ヶ月間だけ活動したグループですが、龍谷大学の加藤さん、京都府立医大の北山さんが学生時代に組んだ4人編成のアマチュアバンドで、後二人はプロにならず就職の道を選んだのです。あっ、ですが北山修氏はちゃんと精神科医にもなったので、加藤和彦氏だけがプロになった次第ですな。

元々は『世界の民謡を紹介する』というコンセプトで始めたらしいですが、北山さんのMCが秀逸でその話芸から「笑いのフォークル」とも呼ばれておったそうで、

そろそろ就職もあるというので自主制作したのが、「ハレンチ」と言うアルバムでその中に入っていたのが、あの有名な「帰って来たヨッパライ」。

 これは、四条河原町をブラブラしていたもっさりとした小柄の男、松山猛を連れて来て、彼が書いたモータリゼーション華やかりし頃の交通事故なんかを社会風刺的に書いた筈のものでした。
 彼は、その後のフォークルの作詞を担当して、イムジン河などの勝手訳詞をしたり、とにかく良い歌詞を書いてくれたそうです。

 加藤は母の英才教育と言うかSING OUTと言う洋楽を紹介する雑誌を本棚にズラリと並べるぐらいの洋楽通でもあり、ビートルズの影響を色濃く受けて、アレンジや曲作りに活かしていた様で、彼らは和製ビートルズなんて呼ばれていたそうですな。

 なので、それが高じて一時は、ザ・ズートルビーとか言って「水虫の歌」を恋の歌に「せつなく疼く水虫は 君と僕との愛のしるし〜♫」って歌詞を乗せてシングルまで出したとか、、、

 これって、実は今夜の中野Y'S PaPaのオーナー池田善彦さんの所属していた「ずうとるび」の元祖?みたいで、、、

「帰って来たヨッパライ」は、実に遊びごごろ満載の曲で、加藤と北山のアイデアが盛り込まれているのですな。

天国良いとこ一度はおいで〜♫は、草津節のパロディ
バックでは、エリーゼのためにを 北山さんの高校生の妹が弾き

彼女の英語教材用のテープレコーダーを使い早回しにして録音。
お経は北山さんが「A Hard days night〜♫」と唱えてる。

木魚は仏教大学の加藤ではなくて、何故か北山家にあったそうで、それを持ち込み多重録音した初のオリジナル曲。

残念ながら、自主制作LPはちっとも売れず。。。
仕方がないので、お世話になりましたと、北山がラジオ局に持ち込んだら、

なんと、高梨美津子ディレクターが面白いとラジオ関西の「若さでアタック」で流したら、

その翌日から大変な本数の照会電話が鳴り止まず、ラジオ放送局がパニックに!
「レコードはどこで。。。誰が歌ってるんですか?、、、コンサートの予定は??」などなど、

そこからアレヨアレヨと言うまに、30万円(今の100万円相当)のうち殆どを親から借金し売れ残った筈のLPレコードの中のその一曲が、シングルカットされて、280万枚の日本初のミリオンセラーを記録!

 レコード会社が全く関与しないミュージシャンだけで作るレコードと言う新しい時代の幕開けとなった。関西から本格的にフォークブームが巻き起こり、今までの関西フォークと言われていたものが、これをきっかけに全国区となるのです。

「戦争を知らない。。」の作詞は北山、でも曲をつけるのを加藤が嫌がったので、杉田二郎に持ち込むと、杉田二郎は歌詞に感動して、曲をつけ歌ったら、これまた大ヒット。

「あの素晴らしい愛をもう一度」は、加藤からの留守電の往復で作られた。今や中学の音楽の教科書に載ったり合唱団が歌う名曲に。


加藤和彦さんはその後も音楽業界に残り数々の影響を残しました。

松任谷正隆を拓郎のバックバンドに紹介して、「結婚しようよ」を録音その後松任谷はバンマスに。
南こうせつのバックにも、、、多方面に引っ張りだことなった。
その松任谷がニューミュージックを牽引し、ユーミンをさらにパワーアップさせた。

フォークをメジャーにした加藤が、ニューミュージックを作る片棒を担いだと言うのも、興味深い事実です。

これだけの付け焼き刃ですが、ネタを仕込んで乗り込みました。

ここからは、アドリブで、実際のライブMCになりましたが、、、
何となく今日のライブに繋げることに、、、、

『と言うことで、次の曲は、「帰って来たヨッパライ」はやりませんが、、、、
よ〜くみたら考えてなかったけども、、、繋がってたと言うことで。。。
古い歌ですが、古井戸の「飲んだくれジョニー」をお届けします。』


セットリストは、以下の7曲にアンコールに「梅田から難波まで」をやりました。

1.I saw the light

2.飲んだくれジョニー
3.Let's kiss the sun

4.希望という名の光
5.Bring it on home to me

6.ウィスキーがお好きでしょ
7.バッドジャンキーブルース


と言う訳で、興奮の坩堝の3日間レポート後半戦と、

最近読んだ「愛国とノーサイド」の頭山家と松任谷家の関係、、、そこには当然ながら松任谷正隆と荒井由実こと松任谷由実夫妻が繋がり、今回の京都フォークの部分が繋がった話、、、正にこれぞセレンディピティと申しましょうか。。。

的な?お話はまた後日に。

相変わらずの駄文乱筆 無推敲の文章ですが、、、お許しあれ!

では、また!

我が「刺身のツマ」の写真は後日付け加えます。












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