2011年8月27日土曜日

イカメンの、「おざら」を満喫し、風林火山参拝ジョグったら、歴男になりそうな朝?(第三部)

はてさて、第三部は、甲府駅前の武田信玄像を見て、武田神社に初詣した勢いもあってか、今朝聞いたポッドキャスト「アサカツ」金曜日の歴女 白駒妃登美さんの話に引きずり込まれた次第。

彼女が話してくれたのは、日本人の特性とも言える「恩おくり」。天命に運ばれる生き方を成した人物は、恩を贈る人。歴史を物事や事件の繋がりで見るのではなく、人の繋がりで見て行くと全く違った真理が浮かび上がって来ると言うこと。

それは、


第一刀で世界の三郎から、現代の医学会にまで繋げ、返す刀で、薩摩藩主八代島津重豪から諭吉まで繋げ、実は三郎諭吉からおくられた恩を、慶応大学医学部を創設し10年間無報酬で働く形で返して、日本の医学の礎を作った。つまりは、江戸時代と現代を人と人による大きな輪で繋げてしまう話なのだ。

彼女のその話術の見事さに、イカメンも思わず歴男になりたいと、

そう!人の連関性をもとに歴史を語れるプロを目指したいと考えた訳である。
(いつもながら、単純なイカメンである。


思わせぶりな振りはここまでで、どの様に繋がっているかと言うと・・・・・・・

第一刀は、世界の三郎とは北里柴三郎のこと。32歳でドイツに渡り、1989年ヨーロッパ人が出来なかった破傷風菌の純粋培養に成功し、一躍世界の三郎となった。第1回ノーベル賞候補になり、ドイツで外国人として初のプロフェッサーの称号を受けた。

さらに、ケンブリッジ大学から細菌学研究所の所長として招聘された。しかし、彼は固辞した。彼には伝染病から日本国民を救うと言う”志”があり、日本で伝染病研究所を設立しようと帰国する。

ところが、世界的にも偉大な医学業績を理解できなかった当時の政府や東大の対立派が、彼の内務省復帰を阻み、いわゆる無職となる。
そこへ、私財を投げ打ち伝染病研究所を提供したのが、福沢諭吉

そして、三郎は共同研究した赤痢菌の発見を志賀潔の功績として恩を贈り、日本に赤痢菌の研究を見に来たアメリカ人通訳に野口英世を抜擢して、後の海外への道を開く。

実績を上げて手狭になった研究所を愛宕に移転する時、周辺住民の反対運動に会うが、ここでも諭吉の手が差し伸べられた。安全性を保証するために研究所の隣に家を建て、そこに息子を住ませることで反対運動を抑えた。

其の恩を受け慶応大学医学部創設に尽力した三郎は、多くの優秀な研究所の人材を教授として送り込むのだ。それで、私大でありながらも、東大と並び日本医師会の重要な位置を占めることになったのだ。

第二の返す刀は、オランダ語・中国語に堪能で、世界に目を向けていた島津重豪が、ひ孫の島津斉彬を、見込んで育て、その斉彬が下級武士の西郷隆盛を「お庭番」として抜擢して、世界情勢・政治経済の薫陶を施した。斉彬「日本を近代国家」にする”志”を実行していった。ジョン万次郎(土佐藩)を招き西洋式帆船を作らせ、蒸気船やガス灯を作らせた他、武士として始めて写真に写った。

そしてこの船のナショナルフラッグを作るにあたって、「日本の将来は、輝く太陽の如くにあらねばならぬ」として、あの日の丸を国旗として、幕府に進言したというのだ!(知らんかった!

ここに異様に食いつきたいイカメン。


何故なら、中学時代応援団長をやった運動会で、日の丸を振って走ろうとしたら、教師から止められた。文化祭で反日教組のアンケートを周辺家庭から取って展示したり、其の中で「鞍馬天狗日教組に物申す」と言う檄文を某氏に書いてもらったら、多くの教職員を敵に回すことになった。


彼らは、「日本国旗は軍国主義の象徴だ」とイカメンを叱った。彼らは、本当の意味での歴史を教えなかったと言う訳だ。


最近、この手の教えられなかった史実を知るたびに、戦後アメリカが日本人を洗脳するために作った「太平洋戦争史」のひどさを思い知る。


つまりは、日教組は、『アメリカの片棒を担いでいると言うことに気付いてさえいない』か、『自分たちの主義に都合のいいような解釈をしている』人たちだったのだ。


「太平洋戦争史」のくだりは、まさに今読んでる藤原正彦氏の「日本人の誇り」に詳しい。
是非読んで見られると、戦後教育の歪曲された実態が実に良く理解できる。



さて、子供の多かった重豪だが、その次男が豊前中津藩奥平昌高。そして彼ら重豪・斉彬・昌高でシーボルトにまで会いに行く先進性を示す。
13男が黒田藩主黒田 長溥で、其の藩からは勝海舟が出た。そして、其の弟子が坂本龍馬(土佐藩)


そして、中津藩からは、解体新書の前野良沢。そして福沢諭吉が出ている。ここで、北里柴三郎に繋がってくるのだ!







以上、人と人を多少強引に繋げて見ると見えてくるものがあるのだ。


イカメン歴男の長い長い話の一巻の終わりでございます。


おやすみなされい!

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