2011年5月4日水曜日

イカメン、日常を取り戻す!

おはよう!今朝は4時01分起床。いつもどおり、そして黄金週間中も、腰防体操は欠かさずやりました。

○ところで、昨日、チチメンが帰郷した。後期高齢者を唱えるが、どっこい腰も曲がらず口ひげをはやしてハットを被り、少々洒落た老紳士然としているところは、中々のもんだ。クリスチャンのチチメンは教会の役員を満了して、ゆっくりしたいと考えていたようだが、教会で男では2番目の長老に、またも役員のお鉢が回ってきてしまった。「まあ、多少忙しくしておかないとボケてしまうから、いいんじゃない」と言ったら、「バカモン」と言われた。結構、色々大変らしいのだ。

○それでと言う訳でもないが、一昨日は二人で近くの健康ランドに行き、薬膳風呂につかり岩盤浴をし、ボディケア40分なるマッサージを受けた。

○そして、夕刻、学校帰りのGROUSEと嫁、イカメン、チチメンで予約していた「銀座よしひろ」に出かけた。ここんところチチメンが上京したときの恒例となった。元はと言えば、チチメンがこの大将と知り合ったのが23年ほど前で、イカメンがそれを引き継いだと言えなくもない。イカメンと大将とは、21年来の付き合いになる。年齢的には、イカメン< よしひろの大将< チチメン の年齢がちょうど15ほど離れている感じだ。

メニューは、まず刺身の4点盛り(新鮮で肉厚のはまち・鯛、そしてクロマグロの中落ち、鮮度抜群の車えび、これをサメ皮のおろしで本わさびをすって頂く)の後は、松阪牛スジ煮込みに、でか~い毛ガニ(沈黙を誘う味はタラバを凌ぐ美味さ)、次もでか~い鯛の煮付け(絶妙煮汁に参ったが、多すぎて半身お持ち帰りとする)、名物トマトおでん(出汁と一緒に飲めば最高!勿論ここがトマトおでんの発祥です。)、そして絶妙の塩加減と柔らかさのおにぎりが、でか~い焼き海苔に挟まれて出て来た。その後は、デザートで締め。久々に腹がパンパンになった。カウンターの方も、客を断るほどの盛況であった。


チチメンが帰郷する朝方、「くりらじ」『The other side journal』の秀太郎を聴かせて、それから、車で東京駅まで向かい、イカメンお勧めの書店であるマルゼン本店の4階「松丸本舗」にも連れて行きました。何とか気に入ってくれたようです。本を3冊買ってましたから、イカメンもついでに待望の松岡正剛「空海の夢」を購入。あ~これで、一体どんだけ本に費やす時間を捻出すればいいのだろうか?ついでに、マルゼンが発祥というあの名物「早矢仕ライス」を頂いて参りました。嫁も「これがハヤシライス?今まで食べていたのは何だったの?」コクがあって上品な味わいにファンになったそうである。

○順序は少し逆転するが、5月1日は越谷サンシティホールでのGROUSEのヴァイオリン発表会だった。元はと言えば、これを聴きにチチメンが上京したのである。13番目に登場したGROUSEは例の如く目を閉じたままピアノの伴奏とともに演奏を開始した。中々に情緒あふれる演奏は10分間にも及んだ。素晴らしかった!イカメンはこんなに暗譜はできないし、勿論ヴァイオリンは弾けない。先生にも「一生に一度弾けるかぐらいの演奏でした。」と誉められ、何故か本人でもないイカメンとチチメンは鼻が2センチぐらい伸びたほどだ。チチメンから、頑張ったで賞が授与された。あれ~?イカメンらも昨年、「あんたが大賞」を受賞しましたけど~・・・・

余禄です。あの杉山清貴7月3日(日)に、GROUSEが演奏したこの越谷サンシティホールの小ホールにやって来てアコースティック・ソロ・ツアーをすると知り、思わずGROUSEを巻き込んで申し込んでしまいました。彼のハワイでの生活から日本に戻った頃のアコースティックのCDを聴いて以来、特に大ファンとなったイカメンとしては、何としてもこのチャンスを逃す訳には行かないのであります。はい!


○只今現在耳元では You Tubeで様々なアーティストのDesperadoが流れる朝、どんな歌い方をしてもいいと分かりつつ、自分の一番お気に入りの歌い方を探したい。Kenny Rodersの歌いまわしも悪くない。
8日のスタジオ練習で、イカメン調子というものを試してみたい。今回は、オンワードの帰りに、アキバ入りするので、Fenderのエレアコも予約したところ・・・・




さて、さて、少し3月4月を振り返って、5月の決意に向う事にしよう。その前に今から、体重を落としにイカキングなるウオーキングに行って参ります!



『4月はじまりの決意』から、あまり決意らしきものはしてはいないと思うが・・・・

3月は激変の月となる。一生忘れ得ぬ世界の扉が開かれた。

それは、2011年3月11日14時46分15時11分宮城沖と茨城沖でのマグニチュード9.0という前代未聞の東日本大震災の発生だ。ここからパラレルワールドの全ての時間軸が、一旦その流れを止めたかのごとく、今までの時流の世界から隣の巨大地震被災の世界へと飛んだようだ。交通機関や計画停電など、仕事や家庭・生活面に多大な傷跡・爪痕を残したのは巨大地震津波、そして人災原発事故。大船渡など宮城・岩手・福島などに20~30m級の津波が押し寄せ堤防を乗り越え、家や車や人を一網打尽に、それこそ根こそぎにし、街並みを泥土の平地に変えてしまい、2万人を超える死者・行方不明者を出した。海岸約500kmだけではなく、茨城・栃木・千葉の浦安にも被害が液状化という現象として起きた。イカメンの経験した阪神淡路大地震の規模をはるかに超えてしまった。

企画していた家族でのニセコスキー温泉旅行もキャンセルした。そして、自らの身体にもある意味老化という兆しが訪れた。母の命日の夜に、それは教えてくれたのかもしれないが、首右側部に発症した痛みと気分の悪さの原因は、初のMRIを経験する事で判明した。頚椎椎間板ヘルニアと後縦靱帯骨化症だ。長きに亘り少しずつ発症していたものが、忽然と判明した事になる。お陰でいい面・悪い面の両方を経験した。多分、このまま走り続けていたら、突然重症の頚椎疾患がやってきたであろう。

たまたま飛び込んだ勤め先近くの整骨の乱暴?施術で、激痛に失神しかけなければ、翌日休んでまで、地元で唯一MRIを保有する整形外科に逃げ込まなかっただろう。でなければ、原因不明の痛みを抱えて走り続けていただろう。人間万事塞翁が馬とはこんな風だろうか?

お陰様でと言う事で、生活パターンの見直しをし、ウオーキング主体に切替えた。
このブログのタイトルバックも本来は、変えるべきかと考えたが、いずれ完治することを願って、このままにした。

<4月の総括>
2010年度が終わった、それは大震災と大津波によって明確に区切られた。そして新年度が全く異なる時代の4月がスタートした。様々なものが様相を変えた。贅沢は戒められ、人々は援助の手を差し伸ばし始めた。それぞれのポジションで自分に何が出来るかと考えるようになった。イカメン自身にも、いろいろ塾考する時間があった。

多くの朝の気づきを、前田出やすずりょうなどのポッドキャストから与えられた。殆ど狂ったように本を求め、本を読み散らかした。感動して他の人たちに伝えようと思った。




○今朝は、すずりょうの超ヒントで、レバレッジという生き方について・・・・物事にはダイコトミー(二分法)的な見方がある。夢を実現する場合にも自分だけでやり抜く方法もあるが、人に代わってやってもらう、その為にプロデュースする事で実現する方法もあると、すずりょうは考えた。

彼は、本を出すと言うことと、政治を動かすと言う事を実現した。

前者は、本を書く人を見つけ出して、きっと売れるからと本を出す仕事を引き受けた。そして、売れたら印税の3割をもらうビジネスモデルを作り実行。
後者は、ツイッターで直接現役政治家につぶやき講演の機会などのつながりをすぐに作った。

東日本大震災で、彼は『価値』について考えたと言う。

それは、人により千差万別。重さや長さなど、ともかく共通・絶対的な尺度では、計れないものがあると。今回であれば、生かされた命と言う価値である。

自分は人生を、世の中全体をプロデュースしたい。では、どうするか、これがテーマだ。絶望の淵にあったすずりょうは、栄養失調で経験した真っ暗闇の中で、紙に「私は生きている。生きているだけで、幸せじゃないか」。その時に思い出したある人の言葉「人は失ったものを数えるんじゃない。得たものを数えるのだ」・・・

それに従ったその瞬間から真黒なトンネルがすーと消えた。「五体満足だ!」と書くことで力が取り戻せた。湧いてきた力で、ある人を訪問した事から奇跡が始まった。「自分にしか自分の人生に価値を与えることが出来ない。」と気づいたそうだ。

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