2011年9月7日水曜日

イカメン、ついぞ忘れていた”尊いもの”に出会える瞬間!

おはよぐおざいます!(何故かこうなりましたが・・・)今朝の起床は4時34分。腰防24そして腹筋を今日から150セットに増やし、累計7850セット。意味もなく、腹割り計画を急がねばと焦る今日この頃です。

今朝のポッドキャストは、またもセレンディピティ発動です!

一本目は、「小阪祐司のワクワクビジネスボイス」から、アシスタントの御代田悟さんが小笠原諸島の父島に行って来た話。片道1000km週一回だけ就航する船で25時間もかけて、天候が悪ければ欠航となるほど、覚悟を決めていかないと辿り着けない島なんだそうです。一度に1000人近くの客が、上陸するとイルカウオッチングやダイビングなど思い思いの行動をするそうですが、島の中にはゴミ一つ落ちていないとか・・・そして、夜になると砂浜に海がめが産卵しに集まって来る。

苦労しないと辿り着かないプロセスの果てに、大自然の美しさと月明かりの砂浜で海がめの産卵を見ると言う・・・・「場の力」というか、そこに”何か尊いもの”を見た感動があったというのです。
ふと、その”何か尊いもの”と言うフレーズに反応してしまったイカメン。

この頃そんな”尊いもの”に出会うという瞬間があっただろうか?と考えた訳です。

二本目は、「美咲栄一郎の仕事の楽しさ研究所」に登場した関口ゆりさんの話。彼女は、ジープ島親善大使になったそうで、ジープ島は水道もガスも電気もなく、携帯の電波も届かない文字通り「何も無い島」。実は、この島日本人が管理しているそうですが、現地人の夫婦一組と日本人スタッフ1名が常駐する小屋があるだけで、200歩1分半で一周出来てしまう小さな島なのです。最大で15人しか滞在できないのですが・・・・そこで、俗世間から隔離され、ただただ自然以外何も無いところで、10日間暮らしてみると、夜砂浜で満点の星空に包まれながら眠ることが出来るなど、何かかけがえの無い体験が出来ると言います。

何故か、続けて聴いた番組が、長時間かけないと辿り着けない離島の話だったことは、偶然の極みですが、”何か尊いもの”を考えさせられた瞬間でもありました。


次に、ようやくわが師松岡正剛「空海の夢」読了しました!

ホントに久々に読み通すのに、気力が要りました。こんな経験は中学時代の亀井勝一郎小林秀雄以来です。

ともかく、とてつもなく難解で自分の知識不足に焦りつつ、眠気眼をこすりながら、とにかくついて行く。すると何となく雰囲気だけ分かったような気になり、面白かった気になり、次へ進むと、・・・また挫折する。この繰り返しでした。

今のイカメンには、この本の書評をまとめる力量はありませんが、ちょっこっとご紹介すれば・・・

空海は早くから華厳に感心を持って執着さえあった。華厳の教理は主として法蔵と澄観(ちょうがん)によって大成される。『華厳経』の伝訳は四世紀後半から五世紀後半、中央アジアのホータンから流砂を超えて中国に入ってきたサンスクリット本を仏陀跋陀羅(ブッダパドラ)が訳したのが最初・・・・空海は『秘密曼荼羅十住心論』においてさまざまな生命のメタファーをもちいつつ、これを九段階にわたって昇りつめ、最後に密教にいたるという構想を書き上げた。・・・ここには華厳の本質が集約的にあかされている。とくに「重々無碍にして帝網」「隠隠たる円融は錠光の心」「華厳三昧は一切の行」は、華厳の本質をあらわすコンセプトが、帝網円融三昧にあることを端的に告げている。・・】

ここから、空海の即身成仏論の説明へと展開されて行くのですが・・・

雰囲気分かりましたかね?とても要約するのは無理・・・のようです。今晩は、ロックの大音量で夜啼きしたときの様に、「空海の夢」が頭の中に充満して、複雑に絡み合い、夜泣きしそうな今夜のイカメンであります。

あ~あまりにも”尊いもの”への理解が及ばず頭の芯が、何故かしびれてきたので、この辺にしておきます。

では、また!

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MAGASUS藤丸『離陸まで ほぼ三月なり 有意義に 編集道と 音楽目指す!』

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