2023年2月22日水曜日

MAGASUS藤丸、「浮かぶ瀬に 幸先掴め ぎりぎりで 飛んで魅せるさ 死ぬ気で向かえ! 」

 こんにちは、今朝は午前4時24分の起床。まずまずのスタートでした。今週から始めた『自喝生活!』の⑨エスカレーターを使わず階段を使えの実践。半蔵門線大手町駅の一番長いエスカレーター横の階段102段と丸ノ内線大手町駅の改札まで21段の計123段を上がって、オフィスビルの階段を3階から9階まで183段の計306段を上がると、オフィスに入る頃には、身体から湯気が立ち上りました。


さて、本日のタイトルコールは、何事においてもどん底から這い上がるためには、ぎりぎりでも諦めることなく体力知力の限りを尽くして、万事ージャンプして魅せましょうとの思念(おもい)を啖呵してみました。

では、友人M君へのお約束の履行を果たそうと不足だらけの知力を振り絞り、あの名著

「大和の古社寺のものがたり(下)」の感想書評をアップさせて頂こうかと思うのであります。上巻については、2月17日の記事をご覧ください。


『大和の古社寺 ものがたり(下)』を読んで

 何故この本、いや、松田昭三氏のものがたりに惹きこまれるのだろうかと考えてみた。

それは、構成がしっかりと組み立てられていて、古社寺が創建された生い立ちや、その場

所の背景などから、語りが始まるからだ。そのトポスには、「設え」と「ふるまい」が程

よくセッティングされ、そこに昭三氏の素晴らしい「もてなし」が装着されているので、

心の目に当時の情景や蠢く人物像が浮かぶ、そうやって読める本だからなのだろう。

 下巻は、藤原氏の氏寺である興福寺の案内からスタートする。そこでは、いかにして藤

原家が天皇の後宮を支配していったのか、そして不比等の息子藤原四兄弟を中心に織り成

される群像劇が展開される。

 古来、天皇が代わるごとに新しい宮を造営する習慣があった。その複数の宮の総称でも

ある飛鳥京から、藤原京を経て平城京へと遷都されるに従って、藤原氏の氏寺は山階寺、

厩坂寺と遷寺して興福寺に至る。その平城遷都を主導したのが、藤原(中臣)鎌足の次男

不比等。父に数段勝る智謀の政治家兼後宮支配者であり、我が国の国家デザインとして、

大宝律令・平城京・日本書紀の3つのモニュメントの実現に主導的な役割を演じた。これ

は昭三氏による上山春平氏の「埋もれた巨像」からの一部引用でもあるのだろう。この

「埋もれた巨像」については、松岡正剛*の千夜千冊第857夜も参照されたい。さらに、

昭三氏は興福寺の立地に、不比等の平城遷都に賭けた強い意志を推理してみせる。

そして、飛鳥、奈良、平安に渡る天皇家の樹立と延命に次いで、最も巨大で長期のプログ

ラムを成功させ、平安王朝の藤原摂関政治を頂点に実に1300年におよぶ繁栄をもたらした

政治的巨人・不比等に対して、「未来をも視野に取り込んだ深い思念が垣間見えて、唯々

感嘆するばかり」と書かれている。

*私が千離衆として、世界読書奥義伝の免許皆伝を頂いた火元校長である。松岡正剛氏と

の出会いは、最後に少し述べさせて頂く。

 尚、謎多き不比等はもともと、「史」(ふひと)と名付けられたと言われている。「史」

は、歴史者、歴史の語り部、史実の記録者といった意味である。

因みに、私の名前にも史がある。亡父がプロテスタントでファーストヒストリーという意味

で名づけたと聞く。あくまでもどうでもよい余談である。


 氏寺に続くのは、藤原氏の氏神春日大社、これは不比等の孫にあたる左大臣藤原永手に

よって創建された。藤原氏の始祖である中臣鎌足については、諸説あり定説がないという

ことで、昭三氏は独断と偏見の色濃い私見を述べると謙遜しつつ、ものがたりを始める。

 政治権力を天皇家と縁戚関係を結ぶことで掌握するだけではなく、武力に対抗すべく、

刀剣・武力の神を氏神に取り込んで権威の裏付けとして、それを国家鎮護の神にしようと

目論んだと述べられている。不比等存命中に古事記と日本書紀が完成していることや、

日本書紀だけでなく古事記まで不比等がプロデュースしたとする梅原猛の説もあるくらい

だし、おまけに続日本紀や日本後記まで藤原氏が撰者となっていることからも、藤原摂関

政治のバックボーンは強固なものになっていったことは間違いなさそうである。

 春日大社の鳥居の参道から南門、本殿へと向かうにつれて、能舞台の鏡板に描かれる

おん祭りゆかりの「影向の松」や、藤原氏一門が天皇家を通して繁栄を図ったことを象徴

するかの様な「砂ずりの藤」があることが紹介されている。いずれ、母の生地京都や実家

の大阪に帰ったら、一度この本を持って春日祭を訪ねて、藤原氏と天皇家との陰陽の関係

を体感してみたいと思う。そして、萬葉植物園の浮舞台で繰り広げられる春日舞楽にも触

れてみたいと思った次第である。

 こうしてみると、藤原家の中では、氏寺と氏神があって神仏調和がなされていることが

興味深い。

 最後に、鑑真和上により創建された唐招提寺が紹介されている。ここでは、そのトポス

から歴史的現在に立ち、建物に往時の光景を描き出していく視点が心憎い。そして推古の

遺詔について書かれているが、この本を読んでいて、上下巻に通奏低音の様に流れる昭三

氏の言葉に対するとらまえ方や向き合い方が述べられているので、締めくくりとして是非

とも紹介しておきたい。

 このくだりは私も大いに賛同するものであるので、原文のまま掲載させて頂く。

『われわれ人間は、自分の感情や思想を表出するために言葉を使う。言葉によって自己の

思念(おもい)を他者に伝えたいと望む。しかも、その思念のすべてを他者に理解しても

らいたいと欲する。特に、死んで人が言葉を発するときには、その願望・欲求は最も強烈

なものとなる。そのとき言葉が例え片言隻句であったとしても、その言葉の背景にはそれ

を発した人の人生のすべてが大きくかぶさっていると考えても、あながち大げさな判断と

は言えないであろう。・・・・・言葉自体の特性である抽象性がもたらすものとして、語

り手の意欲する真意が十全に受け手に伝わらず、受け手が自分の都合の良い方向で理解す

ることが往々にしてある。それが時として大きな悲劇につながる場合もある。また、言葉

自体が、言うならば独り歩きをはじめ、その周辺に影響を及ぼし、言葉をめぐって様々な

思惑が渦巻き、やがて大きなうねりとなる。』

 どうだろうか、現代にこそ響く思念ではなかろうか。

最後に、わが師松岡正剛との関係性について簡記しておきます。

 2008年頃ネットで千夜千冊を見つけ、立花隆を超える知の巨人で博覧強記な人だと俄然

興味が湧き本を購入。「連塾」に興奮し「空海の夢」に打ちのめされ「図書街」を観て頭

の中を覗いてみたいと思った。松丸本舗が出来た時には、すぐに見に行き、その感動のまま

現在に至り、還暦になった年に松岡正剛氏によるイシス編集学校に入門し、2020年春「守」

卒門、2021年春「破」突破、同年秋「花伝所」放伝、「守」一調二機三声教室師範代を経て

2022年秋「離」を退院し、世界読書奥義伝の免許皆伝となり、松岡正剛の千離衆となる。




2023年2月17日金曜日

MAGASUS藤丸、「終活は する気はないさ 現時点 新しいこと ルーティンにする!」

 おはこんにちは、今朝の起床は午前4時22分。昔はここに前回記事からの起床時間をダラダラ並べていたけれど、今日から一新、新たな生活リズムと自分勝手ミッションを宣言します。

名付けて、『自喝生活!』自分に喝を入れる生き方をしていこうと、

いつもながらの造語キャッチです。今迄にも、『人生一事が万事ージャンプ!!』や、『器用貧乏から器用リッチへ!』『私は翼に憧れる猪である』などもそう。

こんな自分に関する「たくさんの私」の定義は、イシス編集学校で稽古した成果物、いずれも創作造語なので、著作権の問題はないと思われる。どんな定義をしたのかの列挙は本文の最後に記載するが、

それは、ともかく、どんな「自喝生活!」なのか、その思いを今日は啖呵してみた次第。


今日から始めたことと言えば、以下の①~⑨。これを繰り返せば、理想のピンピンコロリを迎える。健康寿命の延命につながると信じるのである。

①午前3時35分以降、午前5時前までには起きる。但し、6時間睡眠は確保し、週に一度は7時間睡眠を可とする。←これは、一昨年までおよそ20年以上継続していたことの復活だ。

②起床後は、コーヒーを淹れる。以前は粉をドリップしたり、サイフォンを使ったりしたこともあったが、今は豆を買って来て自分で手挽きしてドリップしたものを飲みながら、③以下の作業に入る。

③既に日課となっている「ジブン手帳」に起床時間とこのブログのカウンターを記録し、昨日の出来事で漏れているものを記入する。←もう随分以前から手帳にはこだわっていて、探し当てたのが、バーチカルで土日も同じ大きさのこの手帳、当時はなかなかなくて2012年頃に丸善で見つけて以来、なので11年目に突入。このブログも2010年末あたりだから、そんなものである。

いつものことだが、少しわき道にそれると、、、

文具には異常にこだわるのが藤丸流なのだ。万年筆は新婚旅行で海外で土産に買った『モンブラン マイスターシュテュック 146』、シャーペンは、握り部分にラバーが点在していて製図用として使われている『ぺんてるのGRAPH1000FOR PRO』の0.5、水性ボールペンは書き味抜群で1991年に発売されたパイロットの『Vコーン』の赤と青で、どれもゆうに30年近く全く浮気せず使い続けている。Vコーンなどは、2006年に勝手メンターにした松岡正剛氏がお気に入りと知り、千離衆の免許皆伝を頂いた火元校長と同じものを使っていることが意味もなく嬉しかったりしたものだ。https://www.g-mark.org/award/describe/44654

もとい、

④次に前日の日記を書く、これも20年以上継続中、3年日誌や5年日誌、そして今は10年日誌を使っている。

⑤パソコンのメールやFBをチェックする。

⑥ジョグウェアに着替えて、近場の川沿いや公園を3~10km走る。2010年には、ハーフマラソンに出場するくらい一生懸命走っていたが、ある時からそれが無意味に感じ始めて、今はLSD(ロングスローディスタンス)になっている。目的は呼吸調整による声量維持とPodcastの番組を2倍速で情報収集や書評、インタビューを聴きながらのジョギング、早歩きと変わらないキロ10分前後なので、ウオーキングとジョギングの間みたいだから、勝手に『ウオグ』と呼んでいる。距離を測るのと気に入った風景や花、鳥、猫などを撮影すると勝手に動画を作成するアプリを友人に教えてもらい、Reliveの有料版を使っている。

⑦ジョグを終え帰宅するとシャワーを浴びて出勤の支度をするが、その後、FBにコメント入りでアプリの動画や写真をアップする。何時のころからか、それが詩になってると友達に言われ始めたので、今は、それを『吟走詩』と呼び、自らを勝手に『吟走詩人』とかっこつけて呼ぶようになる。ま、誰も認めてはくれないが。。。。

⑧最近では、ストレッチポールで背骨を伸ばす運動を少しするようになった。

⑨あとは、エスカレーターを使わず階段を上る。半蔵門線は結構深い所を走っているので、結構効く、そしてオフィスを3階から9階まで上がる。これで足は鍛えられる。


さて、これでは、終わらない。

次に、友人M君から誘われた恩送りの団体givに入れて頂き、本の紹介をgivすることになった。どうやら藤丸は、そこそこ本を読んでると評価して頂いたようだ。

言われてみれば、小説以外のジャンルは何でも、手当たり次第、興味の趣くまま好き好んで読んで来た。それに、ここ4年ほどは、イシス編集学校にお世話になり、千離衆となったので、千夜千冊をはじめとして必然的に本を読むことにもなった。

 これら以外にも2006年以後は、読んだ本の感想やどんな本を読んだかをExcelにまとめていたり、Evernoteに自炊(本の主要な部分を写メ)したりしていた。バーコードを読ませるSET本管理というものにも登録していたので、この機会に手元蔵書をSET本管理に登録を始めたのだが、これが既にアップデート終了していて300冊ほど入っていたところに100冊ほど入力したらフリーズしてしまった。仕方なく他のアプリを探して、取り敢えず「読書メーター」というアプリに手元の220冊プラスアルファをせっせと登録して、今は、Excelのデータを転記入力している。全部入力するとおよそ1000冊になりそうだ。そこへ今迄編集稽古で読んだ千夜千冊をカウントすれば、1800冊ぐらいにはなるだろう。無論、この程度では編集学校の師範や冊師と呼ばれる猛者には及ぶべくもなく、本のソムリエにもなれやしない。でも無償でのgiverであれば、本の紹介者ぐらいは名乗っても良さそうだ。

ということで、その友人M君の父上が新聞に連載していたものをM君兄弟が一冊の本にまとめた自費出版の書評を読書メーターにアップしてみた。読書メーターとはこういものである。

https://bookmeter.com/home

とても書評と呼べるレベルのものではないが、ま、素人ゆえお許し願いたい。250字制限があるので、要約しか載せられなかったが、原案は以下の通りである。まず上巻だけ臆面もなくご紹介する。





『大和の古社寺 ものがたり』松田昭三著 を読んで
 いやあ~実に面白い。どんどん読める。先ずは、流し読みしてから、じっくり読むつもりが結構惹きこまれた。森の中や景勝地にある奈良の寺社仏閣、そのトポスの前に案内されると、まるで歴史絵巻を引き出す様に語り始めるのが松田昭三さん。この本の著者である。1991-94年にかけて奈良日日新聞に連載されたものが一冊の本に息子たちの手によってまとめられたものだ。残念ながら、非売品の自費出版なのだ。
 この本に陥入すれば、能や狂言などよりはっきりとした歴史劇場が開幕する。
まず、秋篠寺、榮山寺、當麻寺、談山神社を巡る上巻。そこでは、藤原氏と天皇家のワクワクする話、長屋王や道鏡との戦い、継子いじめの中将姫伝説、そして大化の改新の背景となった中臣鎌子の六韜の戦略~智による武の打倒~、それを昭三氏は
『鎌足公の漆黒の頭蓋のなかでめまぐるしく交差したのではないか』と語る。斯様に随所に
氏の臨場感溢れる味わい深い文章が輝いている。これは単なる物語ではない。各地へ足繫く
通い現地調査をし、文献を精緻に研究されて書かれたものだ。
天皇家の父子相承から兄弟相承のくだり、血沸き肉躍る壬申の乱のくだり、どれも読みごたえがある。日本書紀や續日本記、ましてや藤原家のに代々伝わる「藤氏家伝」などの取材を
下敷きに書かれていて、今の我々は殆ど読まないものだから、とても興味深く読める。
 藤原不比等が、日本政治(摂関政治)の土台をほとんどつくりあげたことは良く知られて
いるが、それ以外の史実は、あまり知られていないのではなかろうか。それだけでなく、ちゃんと諸説についても論考しつつ、昭三氏の見解・推理が述べられているところが、とても好感が持てて面白い。歴史年表*を片手に、本書末尾の皇室系譜や藤原氏系図・蘇我氏系図などを参照しながら読めば、なおさらである
とまあ、こんな具合である。
尚、ここで言う歴史年表と言えば、編集学校学衆であれば、『情報の歴史21』であることは言うまでもない。

と、たまに書くとこんなに駄文長文になってしまった。
たくさんの私がどんなものだったかは、また後日に譲ることにする。

それにしても2月9日の日に一気に800ビューが増えた。統計を見るとアメリカの読者?が
読んだことになっている。これって、どういうことなのか不思議である。こんなくだらないブログなどペンタゴンが注目する筈はないのだけれど。

では、また!


 



MAGASUS藤丸「気が付けばまるまるひと月穴をあけ申し訳なくお詫び投稿!」

 おはこんばんにちは!ほぼ1か月以上ぶりのご無沙汰です。今日は4年に1度のうるう日です。最近は、「お笑いシン大惨寺」の檀家衆に選任されたことや、何が何でも千日回峰行を成し遂げたいと日々研鑽修行中なので、という言い訳を放ちつつ、この1か月強、別に無為に時を過ごした訳ではないという証...