2013年8月2日金曜日

イカメン、「知ってるさ 的確なコツ 好きなのさ 奇を衒わずに 心を込めろ!」

おはようございます!今朝は午前3時29分の起床です。知らん間に8月になってました。

午前中に悪夢の?健康診断があるので、夜明けのコーヒーも、体操もジョグも何も出来ず。ただひたすら本を読了し、日誌を書き、このブログを書くのみであります。

では、愚にも着かないいつものやつ。30日(火)2時48分、ジョグ7.5km月間累計100km達成しました!万歳三唱であります。最後の追い込みがきつかったので、今月は頑張って、余裕のよっちゃんで111kmを目指します。31日(水)4時14分、語法日の休息日、8月1日(木)3時10分、図書館に返却期限切れの本を返さねばならなかったので、必死で追い込み読みをしましたので、やはりジョグも体操も出来まへんでしたね。


○さて、タイトルコールは、時々やらかすアイウエオ啖呵ですね。頭の5文字を集めると、

そう!『知的好奇心』であります。

今週は、比較的お利口さんで、30日の懇親会と同期会のダブルヘッダー以外は、爛れた飲み会は、ございませんでした。週末の今夜は分かりませんが・・・・何せ、健康診断後は、ドンだけ飲み食いしても、もう「そんなの関係ねえ~!」ですから。

ふる~!、今なら「今でしょっ!」ではなくて、やっぱ、半沢直樹の「倍返し」でしょう。今年の流行語大賞間違いなしと踏んでるイカメンです。まあ、業界人的には、え~そんなのないよ~とか、まあ、誇張すればまんざら嘘でもないとの感想はありますがね。



○啖呵の意味は、まあ、こじつけですけど、歌うたいの極意とでも申しましょうか、最近読んだ本が、ランダムに選んだ筈なのに、妙に繋がっていたので、表現者の心意気を啖呵してみた次第です。

何が繋がったか?って?

それは前にも書きましたが、まず蜷川幸雄さんが演劇というものを、草刈民代さんが、バレエというものを、北野武が対極的な映画の編集というものを、それぞれ媒体とした表現者としての価値観に共通点と対極点を見た訳ですが、その続きが繋がったんです。

それは、草刈民代と、もう一冊の本「人生、成り行き」立川談志の以下のコメントをご覧頂ければと思います。

草刈民代の言葉に、イカメンが感じた蜷川の演劇論との違いでもあり共通点とも言えるものを発見したのです。・・・・・

【草刈民代】

「若者と死」の死神を踊ったとき、ローラン・プティから、「そうだ!その目だ!」と誉められた。

主役(プリマ)を踊るようになった頃、どちらかと言うと演劇的に踊りたいほうの私は、時によって顔の表情が過多になってしまうとの指摘を受けていた。

「バレエは芝居ではない。」と「バレエと演劇は以って非なるものだと。」

演劇的に踊りを解釈しようとする傾向の強い私は自分の特性や感性で「踊り」をどう解釈するべきか、いつも迷っていた。

それが、プティの一言で吹っ切れた。『表現するべきだと自分が思うことは、できるだけはっきりと形にした方が良いのだ』と・・・・


【立川談志】

人間が本来持ってる『イルージョン』に気付いた。つまりフロイトの「エス」。言葉で説明できない、ワケのわからないものが人間の奥底にあって、これを表に出すと社会が成り立たないから「常識」と言うフィクションを拵えて、どうにか過ごしている。

落語が人間を描くものである以上、そういう人間の不完全さまで、踏み込んで演じるべきではないか?と思うようになった。ただ、不完全さを芸として出すというのは実に難しいことだ。

「イリュージョン」こそが人間の業の最たるものかもしれません。それを描くことが落語の基本、もっと言やあ芸術の基本だと思うようになった。

落語がスピリチュアルに入っているのは事実だ。

とまあ、原文を多少アレンジしてはいますが、表現者としての心を込めて参りたいと二人の師匠から教わった気がしたのです。


○次は、麻木久仁子さんのポッドキャスト「本ナビ」で聴いた東洋思想史を教える東大教授の小島毅さんの明治維新の話に注目だ。小島氏は、明治維新に対して批判的な立場を取っていて、世に知られる明治維新のイメージは、司馬遼太郎らが作った歴史観だと仰るのだ。

多数派の明治維新とは?

旧弊なる儒教の考え方に縛られた日本と戦って、西洋を取り入れ、近代化を進めたというもの。

一方で、

明治維新の担い手達は、若い頃に漢学、儒学の思想をベースに、オランダや西洋を学んだ。だから、明治維新と言うのは、むしろ朱子学的な体制変革が成功したとも言えるという説もある。

つまり、日本の朱子学は、尊王思想と大義名分が結びついて、倒幕の理論を構成した。幕末の志士たちは、朱子学の一派である陽明学的メンタリティーを持っており、それが変革の思想を支えてきた訳で、行動を正当化する理論的背景となっていた。

吉田松陰 西郷隆盛が代表的であるが、これはいわばテロリストだった。これに通じるのが、陽明学である。あの伊藤博文も若い頃は、暗殺を志して、最後は暗殺された。
このくだりは、イカメンにとって、かなりショッキングな話であった。では、龍馬は?どう分類される。超一流のアジテーターであろうか?


この他にも、海がつなぐ日本とアジアという視点から

「歴史を動かす~東アジアの中の日本史」「義経の東アジア」「近代日本の陽明学」などの小山教授の著書についても話が展開されていて、「論語」貝塚茂樹著や「論語講義」渋沢栄一にまで話は進んだ。


もうひとつ知らなかったことがあった。お盆が近づくと話題喧しい・・・といってもお隣あたりの国たちの内政干渉に過ぎないけど・・・靖国神社の話だ。

鎌倉に円覚寺というお寺があり、蒙古襲来の時に多数の戦死者が出たが、日本人も蒙古人も両方の冥福を祈っており、それが日本古来の風習であった。

それが全く変ってしまった靖国神社は、
①明治維新と言う日本国内の内戦で勝った側が作った神社である。
②儒教の思想と関係がある。つまり、戦勝国が自分達側の戦死者のみを祀っている。

のだそうだ。。。

まあ、これ以外にも、佐藤勝の本で教えられたが、靖国神社にA級戦犯が・・・云々と言われているが、そもそも東京裁判自体が、戦勝国が裁くという国際法違反であるだけでなく、A級B級C級があり、一番重いのはC級戦犯であり、A級戦犯は一番軽いという事実。だって、体操界では、難度AよりウルトラCのさらにはDと段々レベルが上がっていくのと同じ話なのだ。

でも、日本の近代現代史と言い、靖国といい、どうして我々庶民には歪曲された歴史しか教えられないのであろうか?歴史は戦勝者によるもので、敗戦者には存在しないというのは、そろそろ辞めにした方がいいと思う。

まあ、なんだかんだと話してきましたが、もっと事実を真実を知って行かねばならないと強く感じた次第です。

と言う訳で、

イカメンの知的好奇心はまだまだ枯れるどころか、沸き出ずる泉のごとしなのであります。
誰ですか?痴的羞恥心と茶化す人は?


さあ、やっとタイトルコールに繋がりました。


そろそろ、恐怖の体重測定が・・・・・・


流石に、これだけは、真実を知りたくはありませんね。


では、また!(未校正・誤字脱字ご容赦願います

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