2012年12月30日日曜日

イカメン、「年の瀬に 今年一年 振り返り 数多の出会い 忘れえぬ宴(縁)!! 」

おはようございます!今朝は午前5時3分の起床。いよいよ年の瀬です。

皆様、いかがお過ごしでしょうか?

世の中的には、自民党が地すべり的に大勝し、民主党は胡散霧消と言った感じでしたが、でも、彼らのお蔭で、随分と隠されていたものが、表面に露出してきたことだけは、評価しても良いと思うイカメンです。

外交機密問題、西山事件、冤罪裁判、検察審査会、検察の不正に見られる司法と行政の力学、沖縄問題、竹島問題、尖閣問題などの外交問題、加えて、東日本大震災とフクシマ原発事故への対応などの諸問題が、多くの日本人の心を揺さぶり、ひとりひとりが何か考え行動しなければならないと思い始めた訳で、硬軟、功罪取り混ぜて、”意識”が問われ始めたのだと思いますね。

さて、さて、ノンポリが信条のイカメンさんは、極楽トンボの如く(そういえば、加藤さんの相方の山本さんはいずこへ?)、人生飄々と120歳まで、生きてみようと考えておりますので、今日も今日とて、愚にもつかぬ思い出し話でも、させて頂きましょうかね。

このブログも2010年末に、開始してから早いもので、3年目に突入しようかという感じで、本数としましては、2010年1本、2011年312本、2012年203本の516本。今日を合わせて517本になりますか、そして、ビューカウンターも、順調に15、113を数え、まあ、自分以外にも読者が、少しは付いて頂く様になり、それを励みに、来年もやらせて頂こうと思っとります。

という訳で、本日が今年最後のブログになろうかと思います。今日は大阪から、チチメンが上玉?(東京なら、上京でしょうが、当地は埼玉だから・・・)するので、東京駅にこれから迎えに行くのです。そして、昨年に続きこちらで正月を迎える訳です。酒とお節や雑煮には、十分な注意が必要な訳で、だから、明日からの目標は、毎朝10km前後ジョギングするというものです。


でないと、体重が!恐ろしい事になりそうなので・・・・

ところで、今年、最後の記事は、昨日書きそびれたオーケストラについてのお話です、

一部の高尚な読者の皆様と違い、オーケストラはイカメンにとりましては、相当敷居が高く、かつ、長いので、正直あまり楽しめないものでありまして、歌って踊れるリーマン兼バンドマンのイカメンとは、距離感があるというか・・・・

でも、何事も、中に足を踏み入れてみないと、本当の良さなど分かろう筈もないというのは、真理であります。ので、まず、オーケストラとは、そもそも何ぞや?から入場しましょうという事です。

極めて、イカメン的アプローチですが、本から入って、体感へと進む訳です。

ご存知、オーケストラは、17~18世紀、絶対王政のバロック時代に、生まれた宮廷のお抱え楽団に端を発するのですが、弦楽合奏に木管楽器を少々加えた20人程度の小さな規模のものでした。そして、それは王侯貴族の特権として、服装や形式が、競われていたのです。いわば、クローズドな世界の音楽だった訳で、ヘンデル、バッハ、ヴィヴァルディに代表されるBGM的伴奏音楽だったのです。

それが、現在の形になるのは、フランス革命後の市民階級が聴衆として登場する19世紀からで、ベートヴェン以降のことなのです。オーケストラは、コンサートホールで交響曲を演奏する為の楽団へと変貌し、金管楽器も含めた30人以上の大所帯化してくる訳です。そこで、キーとなるのが、交響曲です。・・・・イカメンには、さっぱり分かりませんでしたが・・・・・

交響曲と言うのは、3~4楽章からなり、その冒頭の楽章に使われるのが、「ソナタ形式」です。そう、あの冬ソナのソナタ?でしたっけ。ソナタというのは、3部構成になっていて、①提示部:2つの主題が提示され、②展開部:主題を変形し、アレンジされ、③再現部:ここで、2つの主題が戻ってくるんだそうです。ジャズにもインプロビゼーションなるしきたりがありますが、二つのテーゼが対立を経て和解へ到る形式ということなのです。

なるほど、こういうことを知ってるのと無知なのとでは、聴き方が変わってこようと言うものですね。

そして、この古典派の三大巨匠としてハイドン・モーツワルトとベートーヴェンがいて、前二者は最終楽章が軽やかなハッピーエンドになるのですが、ベートーヴェンは違っていて、最終楽章に向かって苦悩を突き抜け、勝利を掴む如く高揚させていくのが特徴だそうです。

この辺は、何となく理解できますね。

19世紀になってから、オーケストラは爆発的な発展を遂げ、ロマン派と言われる人たちが、実験的試みを繰り返し、従来のパトロンの好みに縛られた音楽から脱却していったのです。それらは、二手に分かれて行き、①音楽に宗教や哲学を結びつけた真面目な演奏文化を標榜するドイツ語圏での音楽と②音楽を社交の為の娯楽として花開かせたパリでの音楽になりました。「音楽」に夢と感動とファンタジーを求めていた点では、共通するものがあったようですが・・


その後、シンフォニーオーケストラが各所に設立されて、オーケストラ文化は、帝国主義、産業革命、資本主義の下、隆盛を誇っていくのです。大規模化したものでは19世紀末のマーラーの交響曲に100人以上が参加したそうです。

こんなに多くなってくると、もはや団員同士でアイコンタクトで合奏する事は不可能になり、そこで、ようやく19世紀後半に、指揮者と言う職業が確立したようです。

へ~、へ~10回ですかね。知りまへんでした。指揮者って意外にも新しいんですね

という訳で、ヨーロッパクラシックが交響曲で確立されてから、いよいよ20世紀に入ると、ストラヴィンスキー、バルトーク、シュスタコーヴィッチらのモダニズムと、アメリカのポピュラー音楽が中心となって行きますが、交響曲の要素を継承したのが、映画音楽で、マックス・シュタイナーが牽引し「風邪とともに去りぬ」「カサブランカ」・・「スターウオーズ」などのハリウッド音楽の礎が築かれていくのです。

打楽器や不協和音を多用するモダニズムは、さらにシェーンベルクなどの「無調音楽」「十二音技法」などを使う現代音楽へと進化していきます。

⇒イカメン的には、訳の分からない音楽になって行き、進化とはとても思えませんが、・・・なんせ、無音が主題のピアノ曲まである訳ですから、訳が分かるはずありまへんね。

最後に、最近活躍中のイカメンとも歳が近い世界的指揮者大野和士さんの言葉が、印象的でしたので、ご紹介しておきます。

『指揮者とは、常に楽団の一歩先を行って、何かを発信していないと、言葉は生まれて来ない。練習では、音のイメージをリズムで刻みつつ、そこから少し遅れて出てくる音の良し悪しを即座に判断する。修正が必要であれば、簡潔な指示で適確に行う。これが基礎。』

中々含蓄ある言葉でしょ、・・・と言う事で、本日はお開きです。来年は、メディアの未来というか、モバイルペインメントなどの先端技術について、皮切りに書こうかなとも思います。

では、今年1年御愛読頂きまして、誠にありがとうございました。良いお年を!


では、また!

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