2012年2月11日土曜日

イカメン、「愚にもつかない話をしようか?」

おはようございます!今朝は午前6時5分の起床。これから走ってきますが、その前にちょっと書いてから・・・と思います。

ポッドキャスト番組「ニッポン長寿企業」から、「宇津救命丸(株)」宇津社長の話です。

慶長2年1592年創業の当社は、宇都宮家の御殿医であった初代が、国主が秀吉の逆鱗にふれ城を追われた時に帰農し、その後半農半医で金匱(きんき)救命丸を創薬したことに始まるとか・・・なんでも宇津(うつ)家の前に倒れていた僧侶を救った時、お礼として貰った書物の中に、製法が記されていたとか・・代々長男に一子相伝の形で口承伝承され、調合するときは斎戒沐浴し、当主以外は近づけない誠意軒の中で行われ門外不出だったそうです。

大人から子供まで効き目の確かな、銀箔の小粒は、1粒米俵1俵の価値と同じと言われたそうです。今では、赤ん坊の夜泣き疳の虫を抑える唯一の薬として、400年以上に亘り続いていて、中国の漢方生薬やサイの角の粉末が入っているとか・・・

ちょっと、小耳に挟んだ薀蓄でございました。




それから、昨晩は今度のライブに向けて、やる演目をYOUTUBEで、いろんな人のカヴァーを聴きながら、研究?してました。どうしたら聴いて貰えるようになるのかって・・・・・表現することって、同じ曲でも、こんなにバラエティがあってもいいんだと、気付いた瞬間でもありましたが・・・

今朝の事でした。以前から机に並べて、ダラダラ読んでる小泉文夫著「日本の音」(内容は格調高く、名著ですよ)を手に取ったら・・・・こんな事が書いてありました。

以下、勝手要約です。


音楽とは、二面性を有している。

音楽には国境はない、国際的言語であるという国際的な性格


限定した社会や地域の中で、伝統的に組み立てられた独自の体系
~その国の民族の言語・習慣や思想・信仰など、社会の中で他の要素と絡み合って産み出された体系で、これに対する深い認識なくしては本当の理解など出来ないもの。

従って、絵画などの造形美術や舞踏の方が、音楽よりはるかに具象性を備えた表現を基礎としていて、より①に近い。
表現形態が、視覚刺激だったり、聴覚刺激に限定されますもんね。


ところが、

明治以降の音楽教育の指導者達には、伝統音楽の素養がそもそもなく、軽視してきたので、①を過信しすぎた。

結果として、2つの錯誤をした。

A(教育における錯誤)

音楽以外では②の言語・習慣や立ち居振る舞いなどの伝統を身につけることを重視しながらも、音楽に関しては、いきなり西洋と同じ水準に追いつこうとした。ハーモニカを持たせたりして西洋音階を身につけさせた。
確かに、笙や三味線や横笛や尺八やお琴なんて、授業では使わんかったよね。

B(芸術における錯誤)

音楽には、自己表現を直接伴わない技術の側面が多分にあるため、ピアノが上手く弾けたとか、ヴァイオリンで難曲が弾きこなせることが、芸術自体の理解や消化に繋がると混同してしまった。
簡単な曲でも、表現力のある人と只機械的に弾いている人っていますよね。楽器が、単にいいから、上手く聞こえてしまうというのもあるかもしれない。でも、演奏を聴かされて、ただ上手いという人と、鳥肌が立ったり、思わず知れず涙が溢れてくるような人もいますね。ピッチが多少ずれようが、わざとリズムを無視しようがね。

こんな大きな勘違いに国家予算を使ってあれほど徹底的に統制して行われる音楽教育でも、多くの日本人の間では功を奏さなかった。

結局は、一般社会において

1.俺は音痴だと、唄うことを拒否する自称音痴が生まれたり(本当は音痴でもなんでもなく、ただ、西洋音楽についていけないだけ)

2.伝統と深いつながりを持つ(②に基づく)邦楽調、民謡調、浪曲調の歌謡曲に音楽的情熱を傾ける大衆がいて、

西洋音楽は、Bの様に技術的な側面以外になかなか現代日本人の表現素材になり難い~つまりは日本語や日常的な生活感情と結びつかない~

だから、歌謡曲が日本人の音楽的表現を代表するものとなった。』(尚、文中の紫はイカメン的注釈)


と、ここまで、読んでみて、ふと思ったことですが・・・

歌う音楽には、楽器や声による音階という世界中で理解される①の側面に加えて、その音や息のリズムに乗せるべき言葉があり、それは大きく②に依存するということ・・・・・・・
だから、作曲するとき①の本来の良さは②に強く影響されるんだろう。つまりは、英語で作る歌なのか、日本語で作る歌なのかで曲調が変わってくる。

昔から、こんな風に思ってるイカメンなんです。

①を重視して、そこに日本語をはめ込む桑田祐方式、実は、鼻歌で作って原坊が写譜するらしい。②を重視してその言葉に合わせて曲を作る小椋方式。桑田や佐野元晴なんかは、英語から曲だけ作ってあとから歌詞を嵌めこむことも、当然やってるはず。だから、歌い方が忙しくなる分、独特の歌いまわしを生み出している。確かに、英語は表音文字だから①だけでもいい曲が出来そうな気がする。

そして、井上陽水は②から①を作っているんだろうが、とにかく詩が独特すぎて、日本語なのに英語風だから、あんな風な曲が出来てしまうんだろうか?「歌唄い」のメンター(「歌う鯛」ではないが)山下達郎は、①重視で曲は作るが、見事に日本語を乗せて来る。
この辺の登場人物から、年齢がばればれの気もするが、そうそう子袋?とかポルノグラフィティとか、ミスチルとか、スキマスイッチとかも、分類してみようかな・・・槇原はどこに分類すればいい?やっぱオネエ系か?

それから、技術的側面がいくら上手くても、表現しているとは言い切れず、そこには必ずプラスαが必要なんじゃないか?と思う訳です。

逆に言うと?絵画と同じ様にリンゴを描くには、鉛筆描画、水彩画、油絵、切り絵、貼り絵など、いろんなアプローチがあり得る筈。

つまりは、西洋的音階に囚われることはなく、日本のヨナ抜き音階だったり、インドの音階だって言い訳です。リズムについても、西洋音楽のリズムの基本は強弱の要素にあるけど、日本では時間的位置関係を示す前拍、後拍で、一拍が必ずしも同じではなく拍の伸縮がある訳だし、アラビアでは強拍・弱拍のほかに乾いた拍、湿った拍、重い拍、軽い拍まであり、いつでも拍の長さが同じ長さという西洋音楽の方が特殊であるらしい。

だから・・・・何?ってことで、書き散らかしてきたけど、100人100色で、その人の身体の中にある②が、歌い出せれば、それが一番素晴らしいんだ!っていう結論にしといたりましょう。
裏にある意味?それは、ライブ当日、多少ピッチがずれようが、リズムが乗り突っ込みになろうが、勘弁して頂きたいという壮大なる言い訳であります。

つまりは、限りなく、自分の下手くそ加減の言い訳として、研究成果を発表させて頂きました次第であります。

「なあ~本当に、走りに行く気あるん?」って誰かに言われましたので、そろそろ出かけて参ります。

ご精読ありがとうございました。

では、また!


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