2011年9月20日火曜日

イカメン、「今週は3日しか働かんとです。ひろしです?」

おはようございます!やっと日常を取り戻せたそんな今朝は、午前3時53分起床。腰防体操30腹筋150で累計9500セット。ジョグは、ちょっと寝起きで足がつりかけたので、雨も降ってるので、お休みとしましょうかね。ともかくあと4日もすれば10000セット腹筋10万回な訳。でも、ご存知?の通り腹は脂肪の奥深くで割れている筈なんです。でも、視認性という意味ではもう10万回要りそうです。

タイトルコールは、ちょっとした思い付きです。意味はないです。

今朝のポッドキャストは、アサカツ金曜日分。博多の歴女こと白駒さんの東京オリンピック開催の影の功労者、日系二世のフレッド・ワダ・イサム夫妻の話。



当時は、古橋広之進の全盛期、1500mの欧米の記録を40秒近く上回るも、戦後すぐの日本はIOIも世界水泳連盟にも入れず公認記録とされていなかった。

そんな時、ロスで青果店を営んでいたワダ氏が、動いた。

それが、海外の水泳大会に、日本選手が初めて参加した1949年全米選手権だった。

この時にワダ夫妻は、自宅に選手団を招き、宿泊させ、食事から送迎バスの手配までの全てを取り仕切った。選手達は、豪華な食事に歓喜の声を上げたとか?

そして、1500自由形の準決勝で橋爪氏が、他の選手を150mも引き離して、世界記録を20秒更新。続く、古橋氏がさらに16秒も更新して世界記録を樹立。決勝では、なんと!1位古橋2位橋爪3位田中と日本勢が独占する快挙を演じた。結局、日本選手は、世界記録を9つも更新、中でも古橋広之進は5個の世界記録を樹立した。『フジヤマのFlying Fish 』と呼ばれたのである。

この結果にワダ氏は、大いに喜んだ。「この大会を契機に、日本人はジャップからジャパニーズに呼び名が変わった。」と。

それから、祖国日本のために仕事を投げ打って、東京オリンピック開催に向けて尽力したそうだ。

彼は、手始めに野菜を輸入していたメキシコのIOI委員に交渉を開始し、約束を取り付ける。そのご治安の良くないキューバなど中南米10カ国を自費で婦人と回り、次々と日本の売り込みに奔走する。その動きが感動の渦を巻き起こし結果として、1959年5月ウィーンでの開催地投票は、2位デトロイト10票を大きく引き離す34票を獲得。東京での開催が決定したと言う。

その後もワダ氏は、最初に日本支援を約束してくれたメキシコの為に3年間奔走し、続くメキシコオリンピックの開催を決め、ロペス大統領から感謝状を受け、1984年にはアメリカへの恩返しとしてロサンゼルスオリンピックにも力を貸したそうだ。

祖国愛というか絆の歴史を感じる話である。最近読んでる藤原正彦氏の「日本人の誇り」とも、別の意味でオーバーラップしてくる。

日本人が誇りを取り戻すためにも、何の一次資料も残されていない架空の「南京大虐殺」の呪縛から、早く脱出することである。

そして、「南京大虐殺を使って、アメリカが広島・長崎に投下した原爆と言う人体実験の罪をもみ消す為の『連合国による報復と宣伝に過ぎない東京裁判 』が、日本への憎悪を隠そうとしないウェップ裁判長による訴訟指揮権を楯にやりたい放題のとても裁判とは呼べない代物だった。」という事実をきっちりと、認識する事こそ必要だと益々思えて来たのである。

少なくとも、自信をなくすことなく、日本人の素晴らしさを再認識したいという事なのである。

また、今朝も熱くなってしまった。

では、また!


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