2011年4月17日日曜日

イカメンの日々感動!

おはよ~う!がおぜ~まいす!(miceってmouseの複数形だったか?なんで、SがCになるんだ?って今頃気になってる今朝のイカメン)まあ、それはともかく今朝は午前4時10分起床。少し寝すぎたかも?と思ってトイレに立てば、なあ~んとGROUSEの部屋の明かりがついておる。

覗き込んだら、GROUSEが深刻な顔してパソコンに向っておるのじゃ!

「どうした?珍しく早く起きしとるなあ」って言ったら、泣きそうな顔で「午前1時半?からのコンテストに寝坊した。悔しくて、過去問を解いている。」との事。「まあ、そんだけ悔しがるほど熱中するのも良い事じゃ」と言ってやったのじゃが・・・・

何でも、ここのところ彼は、様々なプログラムコンテストにチャレンジしており、トップコーダーでのステータスも徐々に上がってきているようなのだ。良くは知らんが、コンテストに出て解いた問題に応じてポイントがつくらしい。ある程度までステータスが上がると情報オリンピックに出場できるらしい。何でも、彼が4月から入部したパソコン部の1年先輩が、昨年度の世界情報オリンピックで、金メダルを取っておるのじゃ!


それで、昨晩早めに寝て、今朝は明け方から始まるプログラムコンテストにチャレンジするつもりだったらしい。

では、本題。

小松成美「人の心をひらく技術」を読了した。正直感動する内容があった。インタヴュアーの矜持を見せてくれたとでも言えるだろう。で、詳細は別途後段に書くとして、特に、彼女が、YOSHIKI(XーJAPANん?あの奇人ライオン丸小泉元首相もファンだったか?)とのインタヴューに臨み、自殺したギターのHIDEやボーカルのTOSHIの脱退を経た辛い気持ちを話してもらい、取材を終了しようとしたとき、YOSHIKIが彼女に「もう少しいいですか」と引き止めて、話し始めたくだりが印象的じゃった。というか、またもイカメンの涙腺がオープン・ザ・ドアしたのじゃ!

「今初めて話す事なんですけど・・・・」そこで、彼が今まで母親にも弟にも、そしてどんな人にも言った事がなかった小5の時に亡くした父親の話・父親への思いを語り始めるのだ。その内容に、滂沱滂沱の涙川なのじゃ!

おそらく、彼女の取材相手への接し方や思いが通じるのじゃろう、1年後、角川書店の編集者を通じて、YOSHIKIから「小松さんに僕の本を書いて欲しい」とのオファーが来る事になるのだ。爾来、彼女は約10年取材を続け、2009年5月に「YOSHIKI/佳樹」を刊行する事になる。


それで、ふと考えた。あれ~なんか?セレンディピティか?いや違う「イカリンク」だ!今、同時に借りてきて読んでる3冊。つまり、残る「日本でいちばん大切にしたい会社」に紹介される会社と「感動力」の話。これらすべてに通奏低音のように流れる言葉、いや気持ち・・・・・それは感動というものだとあらためて気づいた。

やはり、本をランダムに選んでいるつもりじゃが、何かその時々のイカメンの深層心理が求めているものが、ジャンルは様ざまであるが、現れるものなんだと。ひとり「ガテンリンク」した今日のイカメンであった!

昨晩は、久々にイカメンバンドのフルメンバーが揃った。

昼前の震度5の地震で電車に遅れが出たが、、、特急運転が未だ止まったままで、鈍行列車で2時間かけて、遠く日立の地から、買ったばかりのカホンを担いだK君も、スタジオに午後4時過ぎに登場した。良かった~!

カホンというのは、打楽器で、椅子みたいに座って叩く簡単に言えば四角い箱。(これが手提げのケースに入っているのだが、これを背負えば、まるで行商のオッサンになったみたいに結構デカイのである。)
このカホンが、リズムセクションとして、実にアコースティックに合うのである。コーラスも練習したので、S.F.BayBluesもDesperadoも、これで一応曲としては、引き締まった構成となった。後は、5月29日の紅白に向けて、ひたすら練習あるのみである。

いつもの様に土風呂で、地震や原発話に盛り上がりつつ、メートルを上げて飲んだのであった。練習後のビールは、やはり美味い! の一言である。

さて、ここからは、先ほどの小松成美のインタヴュアーとしての活躍ぶりを紹介する。例によって、暇な人だけ読めばヨロシ。



小松氏には、こういったケースが非常に多い。このほかにもあと三つある。

中田英寿の引退までの10年間の取材:

人間に向き合って胸の底にある言葉を導いた。中田の個としてのあり方に尊敬の念を抱き、彼の絶対曲げられない意志があるなら、そのときには孤独を恐れず、声を上げる覚悟を知ったと言う。「中田英寿 鼓動」の他著書多数。

イチローとのロングインタヴュー:

イチローという人間の才能を一瞬で体現する「ヒット」というものに迫り、イチローに「上手く説明できないかもしれないけど、今から僕が打つときに何を考えて何を見ているか話すので、小松さんはバッティングを体感しながら、それを文章にしてください。」「・・・そういう質問をしたインタヴュアーは小松さんが初めてです。・・・・やってみたら全部は無理だったけど、結構説明できましたよね」と言わしめ、以後4年に亘る取材から「イチロー・オン・イチロー」が刊行された。


極めつけは、中村勘九郎(現中村勘三郎)の取材:


彼女は、歌舞伎は好きで見ていたが、憬れの勘九郎の取材に、彼の自宅に招かれ、素人に歌舞伎は無理だと「私など、本来は歌舞伎を書く資格などないかもしれないのですが・・・」と言うと、勘九郎は突然怒り出した。「冗談じゃないよ!どんな資格がいるっていうんだよ・・・・・いちいち謝らなくていいんだよ。それにね、俺は『自分は歌舞伎のプロですから』なんて言って原稿書いている奴、ぜんぜん認めてないからね」と。

そこから、堰を切った彼女は、歌舞伎に魅了されていて、観る事で日本人としてのアイデンティティが喚起され、大好きな役者「中村勘九郎」と同時代に生まれた幸福について話をし、質問をすることとなった。

そして「肚(はら)だな、肚。役者は肚から演じて、その人間になりきっていくしかない。・・」と言わしめ、インタヴューの最後に突然、勘九郎から「そうだよ、これから月にいっぺん、こうやってインタヴューしてくださいよ」・・・「許可なんていらないよ!俺が取材して欲しいんだからさ」と言われ以後「十八代目勘三郎」を襲名する4年間、密着取材をすることになり、「勘三郎、荒ぶる」幻冬舎文庫が出来上がったと言う。

こんな風に小松成美という人物は、ある意味インタヴューのプロとして、様々なプロに認められ、信頼されて、相手から全てをさらけ出してもらう事が出来るのである。世の上っ面ばかりの、お追従だけのインタヴュアーも、是非見習うべきだと強く思ったイカメンであった。

さてさて、彼女の本を、いずれも読んで見たいと思った次第。じゃけど・・・読む時間があるのかのう~^では、この辺で。

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