2012年7月22日日曜日

イカメン、「音楽と 数学の美を 考える 改めて知る 深い繋がり!!」

こんにちわ!ただ今現在15時41分。今朝は、午前2時、3時、4時頃に目覚め、午前5時からは、ポッドキャスト番組「ジュンク堂書店Podcast」佐高 信と鈴木邦男氏の両右翼vs左翼の対談を聴き、それから、「響きあう音楽と数学~桜井進(数学者)×坂口博樹(ハイブリッド作曲科)」を聴きながら、寝床にいました。だから・・・起床は、午前7時30分頃ということになります。

依然として、体操もやらず、運動も先週のジョグ以来休業中でして、、、、、、低糖質ダイエットの方は、無理せず継続していますが・・29日目で▲3.6㎏といったところで、停滞期に入っています。


昨日は、お蔭さまで、ダブルボイス「昭和歌謡の昼下がり」を荻窪ルースターに観に行って参りました。実に、楽しく、見事なライブでした。二人の唄の上手さは当然の事として、お客様との一体感やMCの見事さ、流石プロのライブと感動した次第です。また、是非とも行きたいライブでした。

それに、ルースターのマスターは、ミハエル・・何とか、別名を佐藤さんと言うらしく、前説はやるは、1部と2部の中説?まで登場して手品を披露したり、ライブの客を存分に楽しませてくれました。まさに音楽食堂の店長として、大変好感の持てるナイスガイでなのであります。

杉原徹さんは、文学座23期生で、1986年CBSソニーからデビューし、アルバム4枚をリリース。レギュラーパーソナリティとしては、FM横浜「ブロードウェイスタジオ」他10局、そして、何よりも皆さんの耳に馴染みのあるのは、アサヒ ワンダモーニングショットのナレーションです。あの「忙しい朝に ワンダモーニングショット」と言う渋い声が、徹さんで、AKBを使ったこのCMのバージョンは非常に数が多くて、ナレーションとしてギネス認定されているそうです。

因みに、彼は、イカメンの通っていた高校とJRを挟んで反対側のK高校に入学していたようです。ちょうど、イカメンが高校3年生の時ですが、イカメンの妹もK高校で、徹さんの1学年先輩になります。そして、NATSUKOさんは、徹さんの一学年下です。つまり、K高校では、イカメンの妹⇒徹さん⇒NATSUKOさんで、一時期には三人が学内で出会っていた可能性がある訳です。

さらに、このK高校からは、あの嘉門達夫さんも出ているのです。

どうでもいいことだが、年代で並べてみると、1年毎に

嘉門達夫⇒イカメン⇒イカメンの妹⇒杉原徹さん⇒NATSUKOさんとなる。

大阪のI市内をこの4人が、何らかの形で、ほぼ同時期に闊歩していたことになるのだ。妹の話によれば、嘉門さんは卒業式の時に、学生服だらけの中で、独りだけ紋付袴で登場して卒業証書を受け取るという離れ業?をしでかして有名だったそうである。その時既に、笑福亭鶴光の弟子になっていたようである。NATSUKOさんのMCによれば、徹さんも文化祭で、今は無き長髪を振り乱して、「燃えろいい女」を熱唱していたそうだ。



さてさて、タイトルコールについてですが、ポッドキャストの二本目の番組が、あまりに面白かったので、そこから詠って見ました。

それは、またまた、長編となりますが・・・イカメンの勉強コーナーでもありますので、暫し御付き合いをば・・・・

二度聴きしてしまった「音楽と数学の交差」という本の出版記念として、催されたものですが
http://www008.upp.so-net.ne.jp/marutai/←こちらのサイトでも、画像入りで見ることが出来ます。


古代ギリシャ時代では、音楽や天文学は数学の一分野だったそうで、ゼロの発見が、ヨーロッパに伝わったのは、16世紀に入ってからの事で、ヨーロッパで完成された楽譜や音楽理論には、ゼロの感覚がない。
なので、音階の1度3度5度と言うカウントが、通常の数学的な頭で見ていると、若干の混乱が生じてしまう訳である。つまり、始まりの音は、1度であって、0ではないのです。

古来から現代まで、様々な学者や芸術家や音楽家は、数学の美に言及しています。ピタゴラスは、数学を万物の本源と言っているそうです。

音楽と数の関係は、2から始まる。歩く、呼吸する、全てが二拍で感じられる。わらべ歌なども高い音と低い音の2音だけで、出来ているものもある。能の詠いも2音である。2音は、不安定さと前へと進む新しいものを生み出す数とも言える。

これが、3音になると中心が出来て、安定が生まれる。これがリズムとなると、2ビートより3連符となると、ブレーキがかかり、そこにノリが生じる。
数学に疎いイカメンには、生煮え的な知識だが・・・以下、ご紹介します。


リーマン予想というものは、2・3・5・7・11・13・17・19・・・と続く、素数のリズム絶対リズムが存在し、その根源は、数直線上の0と1の真ん中に核心があるというもので、約150年前から現代まで、証明されていない問題だそうだ。このランダムリズムというか、ランダムミュージックは、間隔がだんだん大きくなると言うことだけは分かるので、対数で表現できて、それを素数定理とか呼ぶらしい・・・
もう、ここまで来たら、お手上げ状態である・・・・

次なる数字は4であるが、これは最初の合成数であり、「科学は4の物語である。」と、桜井氏は言う。それは物理学の夢が、4つの力の統一Unity Theory・・・・重力・電磁力・強い力・弱い力であり、生物学では、DNAの塩基が4つで全てを構成していて、数学では4色定義というものがある。
ついでに言えば、音楽も一応4小節が構成の1単位であり、音階の構成も基本は4であり、それはテトラコルドと呼ばれている。日本文化も、正方形の茶室など4と言う数字で構成されたものが多い。

次に5であるが、これは音階が無限に繋がり、普遍性を生み出す。フィボナッチ数列は、その隣り合う数の比が、黄金率に収束すると言われる。黄金率とは、(1+√5)/2であり、これは、正五角形の対角線の長さの一辺に対する比率に等しい。このどちらにも5が出てくる。
おまけに、近年証明されたフェルマーの最終定理には、日本人が一番近づいていて、無限に続くものを押さえるものとして、5を使用したというのだ。ただ、残念ながら、最終のベースキャンプまでは、多くの実績を残したが、頂上である証明は外国人に取られてしまったのだが・・・

そして、正多面体は、正四面体・正六面体・正八面体・正十二面体・正二十面体の5種類しかない。そして、5音階と言うのは、世界では一般的な音階であり、西洋音楽の7音階は比較的新しいものである。但し、音階には、全音だけでなく半音が混じっていて、必ず主音であるトニックが入っていて安定している。

それから、6は完全数と言われ約数を足せば元の数になる。対称性のある数である。音階も6音全部全音で作るフルトンスケールと呼ばれるものがあり、どこを主音としても響きが同じであり、却って不安定さを醸し出す。完全な美人は、見ていると不安になったり、面白みがないが、少しバランスが崩れていたほうが、安心感があり、飽きがこないと言う何だか、もっともらしい説明だ。

そして、7は、先ほどの西洋音階であるが、素数である。日本では、これと5がセットになり、5・7のリズムを構成する。イカメンも嵌っている(但し、正統派ではないが・・)俳句や和歌がそうである。これも日本語独特のリズムである。英語の文は、一語一語がアンカウンタブルであり、実数と言えるが、日本語は一語一音で自然数だからこそ、5・7のリズムが生まれ得るのだと・・・


さらに、桜井氏は、幼い時に芭蕉の句を聞き、その5・7のリズムが、生まれ故郷の宮城県の自然の美を見事に表現していると気付き衝撃を受けたそうだ。その後、生け花の未生流で、花を直角二等辺三角形に天・地・人と枝を配した活け方をするのを見た時に、閃いて「雪月花」と言う本を書いたそうだ。http://www.misho-ryu.com/history/mishoryu.htm←未生流については、コチラを!


つまり、あくまでも仮説だということだが・・・直角二等辺三角形の各辺の比率は、ご存知の通り1:1:√2であり、これは、5:5:7に近似している。しかもこの1:√2は、白銀比であり、別名大和比とも呼ばれているようだ。即ち、日本人にとって、この5・7のリズムは、言語性と美的比率から、とても心地の良いものなのだと気付いたというのだ。




実に、面白いではないか?音楽と数学の話をするだけで、1から7の数字を考えると、これだけの深い意味が、科学・音楽・芸術に含まれているなんて!これらを総合すると美学ということになるのだろうか?と勝手に解釈するイカメンである。さて、皆さんは、いかがでしょうかね?



最後に、大好きな作家である小松成美さんが、普段めったに見ない産経新聞の日曜日版に「彼らの心が折れない理由」として、各界の著名人を1ヶ月毎インタビューして連載している。その中で、今日は、香川慎司君について書いていた。彼の言葉の中に、魅力的なものがあったので、少しご紹介する。

スタジアムの8万人の喝采を聞いた時の気持ちをこう言っている。
僕は、この瞬間のために、サッカーをやっているという気持ちになる。

このサッカーの部分を変換すれば、表現者としてのスポーツ・芸能・芸術・音楽・演劇などいろんなものが入るし、同じ事を言っているのを、良く耳にする。

「欧州では、サッカー選手の評価は結果です。結果を残せば、すべてが可能になるし、だからこそ夢がある。結果を残せば、一瞬で周りの評価も変わる筈だと信じていた。
心を無にすることで、理想的なゴールやアシストが難なく得られるいかに試合に無心で臨むか、集中力が最高の状態で試合に入れるかが重要なんだ。

そして、こういう
①まず、身体をリラックスさせ⇒ ②集中力を高める⇒( ③自分を抽象化する)⇒ ④精神を統一し、頭の中を真っ白にして、ただ試合を戦う ⇒⑤すると考える前に自分が欲しているプレイが出来る。

なるほどと思った。③については、苫米地ドクターの理論をイカメンが、勝手に入れてみた訳だ。

ところが、ここで、ふとある事に気付いた。まだ、世の中的に鬱病などが、一般的に流行っていない時代に、経験したことがあるが、この時の状況にある意味対極的に仕組みが似ているのだ。

欝的状態においては、こうだ。
①まず、身体が硬直してしまう(出勤したくない)⇒ ②何にも集中できない⇒ ③自分を抽象化できず、出来ない自分を具体的に考えてしまう⇒ ④精神統一など出来ず何だか分からず頭がボーっとして、頭の中が真っ白になり、我ここにあらずで仕事や試合を戦う⇒ ⑤すると何も考えていないのに自分にも周りにも最悪の結果が、次々と起こる。

ということだ。

とまたもや、長くなってしまいましたが。。。。

今日はこの辺で・・・

では、また!



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